本堂の戸には日蓮宗の家紋が彫られ、「一乗山」の額が掛けられていた。
早速本堂内陣の中央の所で丁寧にお参りした。古い本堂の建物の外観より、中は新しく改装されたようだ。
右手の奥には、畳の部屋があり「不動明王」の像とあじさいの写真が置かれていた。
畳の部屋の上には、ここの住職の奥さんから聞いたが、昔この辺りは河北潟の中で、堂内へは開山の日像聖人が水路、舟にて当地に巡錫された折の舟の櫂(かい)が当時の面影を伝え、今も残っているという。
左側の内陣には「日蓮上人」が祀られている。
その前には祖師堂格天井にお地蔵さん絵が描かれた豪華できれいな天井であった。
奥さんから見せてもらった写真には日蓮上人とお祖師様が1472(文明4)年の僅刻で、寄木造、胎内には逗子入り宝塔があり、「釈尊」、「宗祖」、「日郎」、「日像」各聖人の御整骨が奉蔵されているという。
この寺は前田家とも関りが深く、堂内には梅鉢紋が許されており、13代斉泰の生母栄操院が参拝の際に、寺社奉行が書き起こした見取り図や12代斉広の正室真隆院の参詣の折、ここの祖師の前で詠まれた和歌が残っているという。
また、ここには全国で三寺(他に永平寺と西福寺)しかない「弥七の豆柄太鼓」が置かれているのも初めて知った。「これは西福寺で見た」と言ったらここの奥さんは「それを知っているお客さんは今までで初めてです」と言われてしまった。
西福寺の「弥七の豆柄太鼓」はこのブログでも紹介している。
「弥七の豆柄太鼓」の絵本がここに置いてあった。
帰りにまた境内のあじさいをじっくり眺めると、中心のつぶつぶの周りに花を咲かせる「ガクアジサイ」もきれいに咲いていた。