2018年7月21日土曜日

旧二中 三尖塔校舎

今回は、開館40周年特別展で「旧二中 三尖塔校舎」の講演があるということで、飛梅町にある「くらしの博物館」に行った。



















この建物は、1899(明治32)年に建てられ、「 三尖塔校舎」の愛称で親しまれてきた。当時の姿をよく残していることで平成29年に国重要文化財に指定された。「三尖塔」の由来は、二つの尖塔と中央の三角形を強調した意匠からだという。この中央の屋根には避雷針も設けられている。
屋根には小さな切妻屋根が20か所も設けられ、屋根の意匠にポイントを付けている。



















後部から見た「三尖塔校舎」で両側の建物が少し長く延びている。建物の基礎はレンガ積みで、建設当初のものである。隅石や換気口は笏谷石を積んでアクセントを付けている。レンガの積み方は第四高等学校本館と同じ積み方という。



















 2階の屋根の下の支え板にも文様の透かし彫りになっており、隠れたところも凝っている。



















校舎内の階段の手すりの透かし彫りと彫刻



















廊下の扉や窓、天井 も明治の建物の面影をよく残している。
























上から見た「 三尖塔校舎」



















この「三尖塔校舎」の設計者はで「山口孝吉」は、鹿児島県生まれで明治30年に東京帝国大学工科大学を卒業し、すぐに石川県の建築事務として着任し、32年に石川県を退職している。その後の作品として、東京大学本郷正門や築地本願寺は他の人と共同設計とされており、東京大学理学部化学東館は、関東大震災以前に建設されたもので、東京大学本郷キャンパス内では最古の建築校舎であるという。石川県在任中は、第三中学校、第四中学校も同時に設計、工事監理を行っている。東京帝国大学工科大学を卒業した同期生には、金沢市出身の建築家であり、1922(大正11)年に金沢市庁舎を設計し、その後金沢市長となった「片岡 安」もいる。
























平成26年に建築当初の設計図面3枚が発見された。「Designed by K.Yamaguchi」のサインが鉛筆で描かれており、「山口」姓のハンコも押印されていたという。



















この「三尖塔校舎」の横に現在の「紫錦台中学校」の校舎と記念碑がある。。