「かなざわ玉泉邸」で食事をした後、「玉泉園」を廻った。
石川県指定名勝「玉泉園」は、約400年前の江戸初期、加賀藩重臣脇田家の庭園として初代直賢から4代九兵衛まで約100年近くを費やして、江戸中期に完成させたものである。これは、幕末に現在の形になった兼六園より120年近く古いという。総面積2,370m²で崖地を利用した、上下二段の池泉回遊式庭園で、本庭、西庭、東庭の三庭からなっている。
「玉泉園」の名前は、2代藩主利長の正室「玉泉院」から命名されている。初代直賢は、秀吉の朝鮮征伐の時に宇喜多秀家が朝鮮から連れてきた子供を、妻の豪姫が金沢に一緒に連れて帰り、その後、玉泉院に自分の子供のように育てられたという。そしてその配慮により脇田家を創設し、小姓として活躍し、晩年には1500石の大小小姓頭となったという。
隠れキリシタン灯篭は、全体を十字架に見立てており、下の方に聖母マリアの像が刻まれ、直賢がキリシタン大名高山右近の影響を受け、青戸室石で、藩の石工に造らせたものだという。織部灯篭で、金沢でも最古のキリシタン灯篭である。
膨らみのない筒胴と呼ばれる立体型手水鉢は、全国的にも数が少なく、正面に葦、左下に蛙が刻まれている。葦は古くは「悪し」、蛙は「買わず」で悪いものはないという語呂合わせになっている。粟ヶ崎にあった木谷家伝来のものである。
上下の池の間にある「西滝」
大きな石の間を流れる「東滝」
「さい雪亭」は、現存する金沢の茶室の最古のもので、3代利常に招かれた「千仙そう宗室」の指導によるもので、広大な庭園の中にある茶室で雲龍の陽刻をなした蹲を配している。
直賢の故郷を偲ぶために取り寄せた移植したもので、樹齢400年という黒松。
玉泉亭にある寒雲亭茶室は、京都にある裏千家の代名詞ともなっている茶室「寒雲亭」の建立当時の写しである。千利休の孫、宗旦好みのもので侘び本位のものと違い、書院造りが特徴の部屋となっている。
越前藩主松平家伝来の方形手水鉢で、公家や大名しか許されなかった桐葉の飾り陽刻がある。蹲には、台石と手燭石に能登産の滝石を、また、湯桶石には佐渡産の赤石などぜいたくな配石となっている。