2018年4月1日日曜日

善性寺、蓮如上人墓四十万霊宝山見晴らし台

額谷の石切り場跡、富樫氏の御廟谷を見た後、山側環状線から四十万の旧鶴来街道方面へ行く角に「蓮如さん」ゆかりの寺「善性寺」がある。真宗大谷派の寺院で、霊宝山と号し、1427(応永35)年に敬授が開山し、3代法敬坊のときに加賀の守護富樫氏の援助で寺基が固められたという。



















この日は親鸞聖人の祥月命日に開かれる報恩講の法要が行われる日で、本堂には赤、黄、緑、青、白の五色の垂れ幕が鮮やかに飾られていた。



















お寺の中には、蓮如さんゆかりの寺だけあって、地元の人も多く、信仰熱い人たちが参拝に訪れていた。

































境内にある「蓮如上人像」があるが、このお寺には、ご巡錫の都度欠かさず逗留され、善性寺はこのあたりの教化の中心となってにぎわったという。蓮如上人ゆかりの寺宝がたくさんあるという。
























その横に、鬼瓦の下に蓮如さんの句碑が描かれた450年法要記念碑があった。



















お寺の門の向かいの通りに、「蓮如上人御参道」と描かれた案内石柱が建てられていた。この先の山を上ると墓所に行く。



















蓮如上人が逗留中には時々登っていたという標高180mの見晴らし台まで来ると、富樫城跡の見晴らし台と同じように、最高の眺望である。下図は野々市市街方面が一望できる。



















左手方向は、白山市松任方面が一望できる。また日本海もくっきり見える。



















山頂に蓮如上人のお墓があるが、「私が死んだらこの地に分骨して埋めてほしい」と語ったという。これは上人がこの眺めの良い場所から、末代までも北國の大衆とともに生きて居りたいという、お見立てではないかということである。