2017年10月4日水曜日

白峰 林西寺

「御前荘」のコテージに家族らと一緒に行ったのとは別に後日、白峰の街並みを歩いた。ここで有名なお寺である「林西寺」に行った。
ここは、717(養老元)年に泰澄大師が開基したお寺で、1473(文明5)年に蓮如上人の教えによって浄土真宗になったいう。




















隣にある「八坂神社」は白山を開山した泰澄大師がつくった薬師堂を起源とし、明治の神仏分離で八坂神社と改称しているが、現在も薬師如来を御神体としている。




















元来白峰は、越前国大野郡牛首村であり、江戸100年までは越前領だったが、白山論争の末、越前領16カ村に加賀2ケ村を加えて白山麓18ケ村は、1668(寛文8)年に天領となり、林西寺は天領における総坊(別院)の指定を受け、このことから白峰は越前でも加賀でもない独自の文化がこの白山麓の誕生しているという。
現在の本堂は1853(嘉永6)年から11年かけて再建されたが、牛首御三家のひとつの木戸口孫左衛門が私財を投げうって造られたという。




















ここには、我が国の歴史の各時代を通じ、白山の山頂に安置されていた御本地仏をはじめ多くの尊像が広く世の尊敬を集め、古来より長く信仰練行の山として栄えてきた。しかし、明治元年神仏分離令が公布されて、山頂の御安置の仏像はことごとくお山を追われることになった。
本堂の隣には、白山本地堂の建物があるが、1874(明治7)年に当時の住職が、その現状を忍び難く、それらの仏像をここに安置したという。




















このお堂の中で、ここの住職から白峰や林西寺、安置されている仏像について詳しく説明して頂いた。カメラ禁止だったので林西寺のパンフレットに載っていて物を掲載する。
「木造最澄大師座像」は1611年に越前平泉寺にて謹刻されたものを、白山弥陀ヶ原午前室堂に安置されていた。
「銅像十一面観世音菩薩立像」は、白山の主峰御前が峰(2702m)、現在の奥宮の位置に安置してあった御本地仏である。現在のものは福井の平泉寺で鋳造されたもの、重量が207キロあり、仏像を上げるために各部に分けて鋳造しホゾさしに工夫して組み立てられているという。
「銅像阿弥陀如来坐像」は白山の大汝峰の頂上、奥の院に安置されていた。
「銅像十一面観世菩薩立像」は白山旧室堂に安置されていた尊像で別鋳組み合わせづくりのなっている。この製法の初期像としては、我が国にあまり例がなく、11世紀中ごろの金銅仏としては大作で貴重な尊像といわれ国の重要文化財となっている。





「林西寺」パンフレットより






「林西寺」パンフレットより













「林西寺」パンフレットより











本堂の中の唐狭間の龍の彫刻は玄之師ぼうの作だという。今まであまり見たことがないようなすごく豪快な彫刻で、龍が仏典の巻物などを掲げているものがあった。












庫裏は1855(安政2)年の建築、書院は1826(文政9)年の建築で、加賀藩の絵師佐々木泉景などの襖絵があり、初期の井波彫刻の欄間が施されているという。屋根上には「太鼓堂」か?そして屋根上に上がるための大きな梯子が置かれていた。雪深いところなので梯子は欠かせないものであろう。




















庫裏の玄関も洒落た恰好をしており、入口の小さな屋根の下には暗くなったら明かりを付けるための提灯などをぶら下げるのであろうか?