「道の駅 瀬名」から国道157号線を金沢方面に向かい「木滑」の信号を左の入ると「対山橋」にでる。この辺りの「木滑地区」は、手取川と高倉山に挟まれた緑豊かな小さな集落で、木で鍋を作っていたことから「きなべり」とも呼ばれていた。それが転じて「きなめり」になったという説があるという。
「対山橋」から手取川の上流側を見る。両側は深い緑の木でいっぱいだ。
橋を渡り右側を曲がるとサイクリングロードがあるが、その脇に建物がある。現在はここに自転車のレンタルや休憩所となっている施設があるが、実は私の思い出のある駅で、「北陸鉄道石川線」の「白山下」という最終駅であった。学生時代に白山へ登った時に、ここまで電車に乗り、「市ノ瀬行き」そして乗り継いで「別当出合行き」のバスに乗り、そして別当出合から白山登山をした。ここまで電車で来たという思い出深い場所だ。
このサイクリングロードは北陸鉄道石川線の廃線敷きを利用した43.3kmのものであるという。何人かの人がサイクリングロードを利用していた。
建物の中は当時の切符売り場や改札口、待合のためのテーブル、椅子などが再現されていた。また時刻表や当時の電車の写真などが貼られていた。
近くの用水の上に置いてあったのは当時のレールであろうか?またその横の建物は何に使われていたのか?屋根下の壁に、この辺りでは珍しい龍が浮き彫りにされていた。
またその他に、銅像が建てられていたが、裏に碑文が描かれていた。それによると、大正時代に金名線を企画した「小堀 定信」氏で、金名線とは金沢から名古屋まで電車を走らせるという遠大なものであった。大正13年7月に起工し、昭和2年12月にここ「白山下」まで開通したという。これにより、この地に産業、文化、経済などに絶大な影響を与え、後の白山国立公園の具現化に貢献したことが描かれていた。名古屋までの延長は断念しているが、いったいどの経路を走らせる予定だったのであろうか?
157号線沿いのビューポイントコーナからみた手取峡谷(木滑)の眺め
またこのコーナーの所に、「まがっとのケヤキ」という白山市指定天然記念物がある。このケヤキは、2本とも樹齢が350年で、このような巨樹が2本立って並んでいるのは珍しいという。「まがっと」の由来は、この辺りが市原と下木滑の境界で、そこを通る道が曲がっていたため「曲がっと」と呼ばれていたことに因む。