北陸新幹線開通まで10ヶ月足らずとなり、今、金沢駅付近は金沢の中でも一番熱いところである。
今回のブログの写真は、ラフォルジュルネを見た日(ゴールデンウィークの5月5日)と午前6時ごろの早朝の日(5月13日)の2回金沢駅付近に行って撮っているので、人の多い時と少ない時があるが、あしからず。
まず、金沢駅東口の玄関を出るとすぐに目に付くのは「もてなしドーム」で,2005(平成17)年にできた。
金沢で藩政期から盛んな能や素囃子に用いる鼓(つつみ)をイメージした木製の「鼓門」と1.5m四方のガラスを3019枚で覆われた「もてなしドーム」で駅前の景観を一新した。
伝統と現代を表現した斬新なデザインは、2011年米国の旅行誌「トラベル・レジャー」のウェブ版で「世界で最も美しい駅」の14駅に日本で唯一選ばれたというものである。
前市長の山出保さんは「金沢の町は雨の多い町で、お客さんが駅を出たらそっと傘を差し出す『おもてなしの心』を表現した」と言っていた。さすが良い考えと思った。
金沢駅が開業したのは1889(明治31)年で、新橋、横浜間に日本で初めて鉄道が走ったのは確か明治5年だったから26年も経ている。
開通前のこの付近一帯は、蓮沼と藪ばかりであったという。
旧制4高が開学したのは1887(明治20)年で、その時はまだ金沢に鉄道が敷かれておらず、開学式に出席した文部大臣の森有礼(ありのり)は、敦賀から人力車に乗り換えて会場に駆けつけたという。
開通当時の駅舎
「金沢のいまむかし」より
金沢駅の待合室に菓子や化粧品、タバコを扱う売店が開設されたのは1914(大正3)年というから、開通して20数年は店もなかったということになる。ただ忘れてはならないのは、列車が止まると窓に売りにくるあの駅弁は鉄道開通から1日も休まずずっと続けていたらしいが、いつの間にかいなくなっていた。この駅弁の元祖はいうまでもなく尾山町にある「大友楼」だ。今は、百番館のお土産やで売っている。
1933(昭和8)年の金沢駅付近の様子。このころはバスや自動車が走っている。横にある鉄塔は何だったのだろうか?
「金沢のいまむかし」より
昭和38年ごろの金沢駅の様子は私もよく覚えていて懐かしい。
「金沢のいまむかし」より
続いて、現在の金沢駅構内を紹介する。
ゴールデンウィーク中の構内の風景
改札口の様子。現在のものは西口に近いところにあるが、新幹線の改札口は東口に近いほうになるらしい。そしてい今の改札口は第三セクターの在来線用になるとか。
切符売り場の様子
「金沢百番館」は駅中のショッピングモールで「お土産や」、「グルメ街」、「ファッション」の店が並んでいる。ここも改修作業やっていて、7月にできるらしい。
「石川金沢観光情報センター」では、金沢市をはじめ石川県内の観光パンフレットを多数揃え、観光に関するさまざまな情報を提供している。
最近では、外国人が多くなってきているので、外国人のための観光ガイドも常駐し、英語など外国語の金沢観光MAPも置いてあった。ここもこれから忙しくなるだろう。
私の小さい頃からあった加賀人形の「郵便太郎」は大理石製のポストで、金沢駅構内の移り変わりをずっと見てきている。待ち合わせ場所にもなっているという。
最近のニュースで新幹線のお客さんに見てもらおうと駅構内に郷土の工芸品の九谷焼、金箔や蒔絵などを展示するコーナを設けることを紹介していた。そして今、県内の優れた職人がそれらの工芸品のすばらしいもの精魂こめて作ろうと頑張っているところである。
テレビでそこに並べる「加賀獅子」に金箔を使った、すばらしいものが職人の手で作っていて、そろそろ完成することを放映していた。
新幹線が来るまでにどんな風に金沢駅が変わるのか楽しみだ。
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