今回は、古来より「お神明(しんめ)さん」と呼ばれ親しまれている神明宮がちょうど春祭りで「あぶり餅神事」が行われているということで行ってきた。(5月16日)
この神事は、300年以上続く、全国ただひとつの悪事災難厄除け伝統特殊神事として有名である。
加賀藩2代藩主の利長が春秋の祭礼を厄除け神とし、祭り毎に供える餅を御幣(お祓いの用具)形に串刺ししたものを飾って家の守り神とする一方で聖火にあぶったものを食して身体の災厄を免れる信仰として自ら範を示したことが起源とされる。
ここの境内には、樹齢1000年といわれる金沢市指定保存中の大ケヤキ(樹高33m、幹周7.83m、枝幅2.5m)がある。通りの向こう側から見るとその大きさが分かる立派な木だ。
また、金沢旧五社(藩政期より藩主前田家の信仰が特に厚く神官だけが守護する五つの神社)のひとつでもある。
境内には平日の午前中にもかかわらず、あぶり餅を求めて多くの人でにぎわっていて、既に長い行列ができていた。
家に飾るもちは半年でひび割れし、その効果が薄れるので古いものは神社に返し、新しい餅を買い、それを玄関の中の高い場所に飾るという。
私も初めてそのあぶり餅を買い、その後で境内の休憩所でお茶を頂きあぶり餅を一つだけ食べた。甘い醤油たれがかかっていて、おいしかった。
ここの行事に初めてきたが、多くの人が買い求めていて昔からこういう信仰にあやかって、家事災難除けを願う人がたくさんいるのだなあと思った。
また、この神明宮は昭和初期の詩人の中原中也が幼年期を金沢で過ごした際に、父に連れられて神明宮で軽業(かるわざ)を見た思い出を題材にして、詩「サーカス」を描いた所である。
三文豪の一人の室生犀星も幼年期に神明宮近くの雨宝院に過ごしていたため、ここの境内でよく遊んだ場所で、作品の中にもよく出てくるところだ。
次にその神明宮の横にある大蓮寺に行った。
ここは、前田利家の4女で岡山城主宇喜多秀家の正室である豪姫の菩提寺である。
関が原で敗れた秀家やその息子たちが八丈島に流刑されたが、豪姫の願いにより明治3年まで280年間、秀家と豪姫の子孫や家臣の子孫に生活物資が送り続けられたというからすごい。
寺の中には、豪姫の位牌や秀家、二人の息子や家臣たちの無事を祈った聖観音など多数が寺宝として現在に伝わっているという。後日、中に入って見たいと思う。
寺の建物の上方に宇喜多家の家紋が掲げられていた。
寺の裏手の墓地に、1995(平成7)年に豪姫の360回忌の法要があり、八丈島の秀家と金沢の豪姫が生き別れとなってから400年余りを経て、二人の分骨を頂き建立された両人のお墓が並んであった。
西門口には豪姫を彫った石壁があった。
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