2014年4月8日火曜日

大乗寺

2月のここの涅槃会のときに来てこのブログで紹介したが、今回は朝の6時に大乗寺を訪れた。この日(4月6日)は大変寒く、少し震えながら歩いた。


大乗寺は鎌倉時代に富樫家尚(いえひさ)によって、野々市に密教寺院として創建された。その後、家尚に招かれた越前永平寺3世の徹通義介が1269(正応2)年に禅寺として開山したという。徹通義介の弟子の「けい山紹きん」が大乗寺二代となり継承し、羽咋の永光寺や門前の大本山總持寺を開き、曹洞宗の基盤を作ったという。




















江戸時代には、加賀八家の本多家の庇護の下に同家の下屋敷内(現在の本多町)に構えていたが、1697年に藩によって現在地が与えられ移転した。
境内には本多家代々の墓所があった。




















その本多家の墓所の手前に「本多正均(まさちか)と十二義士の墓」がある。
正均は明治維新直後に加賀藩の執政として改革を進めたが、1869(明治2)年に反対派により、城の二の丸殿の大廊下で刺殺された。犯人は処刑されたが、それを免れた者がおり、本多家家臣12人が仇討ちを遂げた。これは「最後の忠臣蔵」といわれ、いくつかの文学の題材ともなった。




















山門は落ち着いた雰囲気で、左右に仁王像が置かれ、楼上にはお釈迦様と十六羅漢が安置されている。








































大乗寺の伽藍は、わが国禅宗建築の典型的な七堂伽藍の配置を示しており、仏殿は国の重要文化財、その他の建物は県、市の指定文化財となっている。
1702年建立の仏殿




















やはり1702年建立の法堂の中に入りお参りをした。前回の涅槃会の行事はここであった。




















大乗寺には、多くの人が心の支えを求めて参禅に訪れ、あるいは境内の寂びたたたずまいを見ようとする人が訪れているという。
座禅道場は毎日朝4時半から一日も休みなく座禅が行われているし、毎週日曜日の午後1時半から定例の座禅会が行われている。2回の座禅の後、大乗寺住職の法話と茶話会がある。
私も会社に行っている4,50代のころに何度か来たことがある。




















大乗寺は専門僧堂で、現在でも高齢から若者まで約20人くらいの修行僧がお互い助け合いながら厳しい規則のもとで修行している。




















北陸新幹線開通を契機に「仏教と禅」というテーマで、ここ大乗寺、能登の永光寺や總持寺、それに西田幾多郎記念館、鈴木大拙館などを巡るツアーなどを企画しているという話を聞いたことがある。

帰りに、大乗寺の前の広場から金沢市内を一望できるところで絵を描いていた女性がいたので少し話をした。この辺にはよく散歩に来ていて、遠方まではっきり見えるときには絵を描いていると言う。こういう景色のよいところでのんびり絵を描きたくなるのも結構なことだ。


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