2014年4月3日木曜日

ふるさと偉人館から石川県美術館(3)

前回に続いてふるさと偉人館内で、今度は野鳥の父といわれる「中西悟堂」のコーナーを見た。
1895年に長町で、16歳で東京の深大寺に出家したという人である。
野山や自然の中にいる野鳥を大切にする「日本野鳥の会」を設立し、自然保護に尽力をした人である。




















悟堂は自由に飛ぶ鳥を詳しく観察し、自然の大切さを周りの人に紹介した。野鳥観察の用具が展示されていた。双眼鏡はもちろん野鳥の音さや大きさを測る計測器具などもあった。




















また、青年時代は短歌、詩、小説など文学の分野でも活躍した。21歳のとき短歌「唱明(しょうみょう)」(処女作)は有名でを中西赤吉のペンネームで刊行した。




















福島県にある「日本の百名山」のひとつの「安達太良(あだたら)」の原稿も展示されていた。野鳥の絵が描かれている。




















また、昭和30年に国定公園だった白山で動物や植物、地層の調査をし、「国立公園」昇格に尽力したという。広坂公園に白山の鳥を詠んだ歌碑があるというが一度確認したい。


























その他、「ふるさと偉人館」には多くの偉人が展示されているが、またの機会に紹介するとして続いて、「ふるさと偉人館」を出て、本多町通りを渡って「中村記念美術館」のほうに歩いていくと、車がいっぱい駐車されていた。「旧中村邸」で今日(3月21日)は恒例の「春の市民茶会」が開かれているところだった。やはり金沢は「お茶会」の盛んなところでいろいろな場所でイベントがある。




















その後、以前このブログでも紹介した「美術の小路」の急な階段を上った。前回は雪道だったが、この日は雪がない。階段の横には相変わらず大量の水が流れており、凄まじいの音が聞こえた。














































階段を上がると、本多の森公園に出て、「歴史博物館」の建物がある。現在、改修工事がなされており、新幹線が金沢まで開通する来年の春までに完成するという。
次の点が変わるという。
①精巧なジオラマや迫力のある大型スクリーンを使い、一向一揆、大名行列、加賀、能登の祭りな どがビジュアルに体験できる。
②特別展示室を拡張し、大規模な展覧会が開かれ、所蔵品を中心とした多彩な企画店が開催され る。
③気軽に立ち寄れるフリーゾーンが設置され、ゆったりくつろげるサロンやギャラリーで石川の観
光、文化情報を発信するコーナを設け、出会い交流の場とする。
などです。できるのを楽しみにしている。




















この日、石川県立美術館内の講義室で「れきはくゼミナール」を聴講した。
今回は「モダン金沢と大衆文化」というテーマで講義があった。大正時代から昭和初期にかけての社会について分かりやすく説明してくれた。




















この時期、金沢は街鉄(市内電車)が敷かれ、繁華街が賑わいを増し「モダン都市」の色彩を帯びてきた。そしてこの時期に、ラジオなどもでたが、なんといっても大衆娯楽の「映画館」が発展した。
下の写真は昭和13年の尾張町にあった「昭和劇場」の建物の写真である。




















また、その当時の「昭和劇場」の中の観客の様子を写した写真である。





















その当時の観客の風俗文化を読み取るということで、写真の中に載っている観客について、今回講師をした人が数えて調べたという。
この写真には観客が何百人いるが、男性と女性の比率は4:1くらいで男性が多い。帽子を被っている人、めがねをかけている人ひげをはやしている人の数を数えたという。ひげの人は少ないが、帽子を被っている人が多い。また学生なども多かったということであった。
ちなみに「昭和劇場」は私が住んでいた家の近くで、昭和30年代の前半に親と一緒によく入った。
嵐勘十郎が「明治天皇」役をやっていた「日清・日露戦争」など見た記憶がある。

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