今回はかなざわまち博で、寺中町にある「大野湊神社」に行った。(8月9日見学)
説明してくれたのはここの河崎宮司で、まず由来について聞いた。727年に陸奥の人、佐那が猿田彦大神を勧請したのが始まりとされる。
もとは金石の砂丘地にあったといわれるが、度重なる嵐や大波で砂丘地が削られ、神社は海中に没したといわれる。砂丘上にあったといわれる絵が飾られていた。
1252年に現在の地の寺中町の離宮八幡宮に奉遷された。一時荒廃したが、その後前田家により再興され、氏子村15村を定めた。そして大野庄の総社として社殿、神器の修理などの寄進を受けている。
まず拝殿でお参りをした。ここの拝殿は昭和10年に金石生まれの安宅弥吉が寄付して立てられたという。(当時のお金で約2万円)
本殿には佐那社の猿田彦大神と神明社の天照大神が祭られている。
境内には金石の豪商の銭谷五兵衛が寄進したとされる灯篭や新馬舎があった。
二代藩主前田利長は慶長9年(1609)に関が原の戦勝祝いとして始められ、400年以上毎年行われている神事能の舞台があった。戸が閉まっていたので中を見ることができなかった。毎年5月15日にここで奉納神事能が行われ多くの人が見に来るという。一度は見たいと思っている。
また三代藩主利常が建てたという旧拝殿があった。屋根には「梅鉢紋」が付いていた。ここは昭和10年の新拝殿新築の際に移築されたという。
中には加賀藩の絵師の松波景栄の描いた絵馬は安政2(1855)年の作で幅14.3mの大きさは日本一といわれている。
この絵は源平盛衰記を題材にした絵で中に当時の大野湊神社や金石の町並みがや北前船などが描かれていた。
また境内のあちこちに初老や還暦の時に神器具などをご奉納した記念に年度と寄進した人の名前が書いた碑がたくさんあった。
8月の第一週の金~日曜日の三日間の夏祭りは金石の町を挙げて行う。このときに伝統ある「悪魔祓い」や「獅子舞」も行われるが、これも見たいものである。
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