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2025年12月5日金曜日

冬支度の白峰

 今日は非常に天気が良かったので、少しドライブがしたくなり、午後に1時間ちょっとで行ける「白峰」に行った。(11月22日)

「白峰」は、石川県一の豪雪地帯で、今年の冬も「白川郷」と同じ2.5mを超えたと記憶している。金沢に雪が降る頃はとても「白峰」には行けない。

下図は白峰の総湯で、十数年前に入ったことがあるが、それ以降入ったことがない。玄関には唐破風の屋根が目立つところである。



















この辺りの商店や民家は、こげ茶色に統一された街並みである。




















白峰は「かたどうふ」や「あぶらあげ」など昔から作って売っている店がいくつかある。。私の家の所まで「軽トラ」で毎週「巡廻販売」でやってくる。家の近くのマーケットの豆腐とは一味違う。


















重要伝統的建造物保存地区の中の代表格である「山岸家」も冬支度のために、壁面の外側に頑丈に木材や鉄を使って補強している最中であった。
以前の私の「山岸家」のブログ


















石垣に挟まれた門はかなり古そうであるが、この門前も作業者が木材で覆う最中であった。


















こちらは3階建ての主屋の正門で、大きい建物でまだ板塀の補強はなされていなかったが、大変な作業となるだろう。


















「山岸家」に、いくつかの蔵があるがこの建物は「板蔵」で、入口が2か所ありかっては北半を「米蔵」と南半は「板蔵」に別れていた。


















こちらはその隣にある「行動寺」の本堂で屋根下の建物は完全に木材で覆われている。



















こちらは「行動寺庫裏」で、木羽葺き屋根の上には石が載っている。その屋根の上には、仏事の触れ太鼓が遠くまで聞こえるように「太鼓堂」がある。現在1階部分は波形のプラスチックが張られた木枠が取り付けられたいた。2階にも玄関ドアのようなものが付けられているのは、大雪になった場合には、こちらから出入りするのであろうか。


















この建物の裏側に回ると、2階の大屋根まで上がれる長い梯子がかかっていた。こては大屋根の雪下ろしや屋根の修理などに使われるのであろう。この木羽葺き屋根は、毎年梅雨の前の時期に掃きながらすべての板をめくり、天日干しで乾燥させた後で、1枚1枚を葺き直す「くれ返し」が行われるという。




















その隣には、明治の神仏分離政策による廃仏毀釈を免れた白山から下ろされた十一面観音像など八体の仏像が安置されている「林西寺」がある。
以前の私が見学した時の「林西寺」のブログ


















ここの本堂の建物も瓦屋根の下は完全に木材で覆われていた。



















「林西寺」の隣にある「八坂神社」





2017年10月8日日曜日

白峰 山岸家

白峰 林西寺の続きで、さらに歩いていくと「行動寺」がある。その庫裏の上に白峰で唯一の木羽葺き屋根の上に「太鼓堂」がある。毎年、梅雨前に掃きながらすべての板をめくり、天日で乾かした後で一枚一枚葺きなおす「くれ返し」が行われる。また仏事の振れ太鼓が聞こえるように屋根の上「太鼓堂」がある。

































その隣には「旧山岸家住宅」があるが、江戸時代に天領となった白山麓18カ村の総代である大庄屋の山岸家の屋敷だそうで、大きな権限と膨大な職務を抱えていたという。したがって、屋敷は個人の住宅であるとともに、今でいう司法、警察の業務を司る役所であったという。
巨大な主屋と三階層立て、黄土色の土壁、縦長の窓に、玄関口の上部にはもう一つの出入り口がある。



















裏に回わると庭があり、その上の方の広い平らな部分やコテージがある場所、またその上の裏山にも、警察のような仕事をしていたことからいくつかの牢屋があったらしい。



















裏庭には滝石組、三尊石組、立石の守護石と一体に植栽された杉の大木、そして池の中に写実的に表現された亀石が置かれている。この亀石は不老長寿の願いとしてか大事に扱われていたらしい。



















最も奥にある部屋は仏間となっているが、天井は朱漆吹き上げ、格天井に細かい装飾がなされたきらびやかな部屋があった。



















その隣には、床の間と違い棚を備えた書院造りの立派な座敷が見えた。これらの二階縁側部には、柵を設けたベランダのようになっていた。



















木造3階建の建物は、入口が2か所設けて1階には「米蔵」と「板蔵」に分けられているという。



















他に、木造3階建の味噌蔵や接待道具、嫁入り道具、文書などが保管されていた浜蔵などの建物が主屋の近くに点在している。




















主屋の道路側に二つの門があるが、屋根付きの殿様門(勅使門)で、使われたことがないあかずのもんだそうです。その両側に背の高さ位の石垣が積まれている。

2017年10月17日火曜日

白峰から瀬名

前回の白峰の林西寺、山岸家を見た後、さらにその隣には「雪だるまカフェ」があり、コーヒーでも飲み一服しようと思ったが、ちょうどそこの店の人が出てきて4時となり店を閉めるところだった。この店は明治初期に建てられたもので、店の側面の玄関の上には、外から直接、薪などを搬入する入口がある。白峰で古くから受け継がれてきた伝統食や、雪だるまのオリジナル商品などを販売しているという。


この辺りは、日本屈指の豪雪地帯で、山村でありながら建物が密集し、明治中期ごろはいろいろな商店や施設があり、その当時の建物がそのまま残っており重要伝統的建造物群保存地区となっている。今でもその当時の面影が残っており、山奥にありながら町場のような景観を形成していて必見の価値がある所だ。



















「白峰観光」のパンフレットより












「白峰特産品販売施設 菜さい」には、堅豆腐、トチノミを使った菓子や牛首紬で作った土産物がたくさん並んでいた。



















その向かいには立派な建物の「白峰温泉総湯」があり、だれでも気軽に温泉に入れる。






次に白峰からトンネルを超えると、道の駅「瀬名」に出た。ここには以前「瀬名高原スキー場」があり、確かこの場所は駐車場であったと思う。随分前にオリンピックで優勝した有名なトニーザイラーが監修したというスキー場で、私も子供を連れて何度か来ていて、県内のスキー場では好きなスキー場だったが、いつの間にか閉鎖してしまっていた。
今では、道の駅「瀬名」に変わって、お土産屋、カフェ。レストランなどが店が並んでいて、白山スーパー林道や一里野高原などの行楽地の途中での一服する場所として多くの車が止まっていた。




















その向かいに、以前は「かんぽの宿 瀬名」があったが、これも閉鎖していた。今は「金沢工業大学」が、ここの土地を買い取り、白山キャンパスとして壮大な「国際高等専門学校(仮称)」の建物を建設中であった。最近は外国人と接する機会も多くなってきており、今後もさらに国際交流が増えることを見据えて、外国語に力を入れるための学校であろうか。





















全寮制ということなので、大自然の中でのびのびした生活と勉強ができるであろう。しかし、都会を望む学生にとっては、ちょっと不便なところである。
先日のテレビで、東京渋谷の「実践女子大」の高層マンションか大きなショッピングセンターの中にいるような豪華な校内が放映されていたが、こういうところで勉強したいという学生もいるだろう。少子化により大学側としても差別化を図り、学生を獲得するために魅力あるものに変えていこうとしているが、費用も掛かり大変だと思う。

2019年10月17日木曜日

北国下街道下口(3)やちや酒造

北国下街道下口(2)の続きで、さらに北国下街道を歩いていくと、右手に大きな町屋「やちや酒造」の店がある。間口が7間の2階建てで、屋根は切妻、桟瓦葺き、大戸の横に長い格子戸がある。玄関の上には「清酒 加賀鶴」の暖簾がかかり、酒屋のシンボルの「杉玉」がかかっている。



















 金沢でただ1軒残された土蔵造りの酒蔵で、前田利家公のお供をして尾張から移住してから、創業1628(寛永5)年で、前田家の藩御用達の酒造りを行っている。



















玄関の横には、「加賀鶴」の大吟醸や純米酒など多くのお酒が並んでいた。「加賀鶴」は藩主から送られたもので、百万石の銘酒と言われる所以である。店内に、ここの前会長が今の上皇が天皇時代の「園遊会」の参加や賞状を受けている写真なども飾ってあった。



















金沢の地酒として藩祖「前田利家」と所縁があるのでその名前の銘酒もあった。
























この店で有名なのは「前田家」所縁の「ひな飾り」があり、ひな祭りの季節になったらこの店内に飾られる。16代前田利為の菊子夫人が輿入れされた時に持ってこられ、その娘の酒井美意子さんに受け継がれ亡くなった後、ここの会長が譲り受けたという。その新聞記事が掲載されていた。



















店の奥には大きな古民家の「茶の間」が見え、板の間に囲炉裏、自在鉤、茶箪笥などレトロなものが置かれていた。
























囲炉裏の上は天井が高く、太い梁が張られていた。また中央に洒落た和紙(?)で作られらた灯りがぶら下がっていた。
























「加賀鶴」と書かれた額の下には、華やかな紋と花柄模様の「花嫁のれん」が飾られていた。



















青く染められた暖簾には梅鉢紋と加賀鶴の字が書かれていた。その上に「加賀鶴」と書かれた小さな酒桶(?)が掲げられていた。



















11月になったら能登杜氏四天王のひとりの山岸昭治杜氏が来られて仕込みが始まり、3月ごろまで行い、忙しい季節になるという。部屋にお酒ができるまでの工程が掲載されていたが、多くの工程があるので、さぞ大変な作業なのだろう。



















店の裏に酒蔵や酒造製造工場があるということで裏道を行ったが、工場の事務所の建物や塀で見ることはできなかった。