いしかわ四高記念公園から鼠多門(1)の続きで、「お城通り」を歩くと「鼠多門橋と櫓」に出るが、ここは次回にまた説明するとして、尾山神社の裏の「唐門」をくぐった。
尾山神社内はこのブログでも何度も紹介してきているが、まだ紹介していない摂社「金谷神社」がある。ここは、2代藩主利長から最後の14代藩主慶寧までと、そして15代当主、16代当主、さらに歴代藩主・当主の夫人も祀られているという。
初代だけでなく、その後の藩主・当主と夫人までご祭神となっており、さらに金谷神社内には百万石まつりご祭神を乗せてねり歩く立派な神輿も安置されている。
その横には、尾山神社本殿側に玉垣があるが、金沢の最初のレンガ造りの塀であり、「梅鉢紋」が透かし彫りとなっている。この玉垣は、大阪でレンガの焼成技術を習得した加賀藩士が手がけたもので、卯辰山の再興九谷を焼いた「春日山」で焼いたのでは(?)といわれている。その後の重要文化財となっている「四高本館」や「陸軍兵器庫」などレンガ建造物が建っているがその先駆けとなっている。
この玉垣の前に「さし石」(力石)というものが置かれていた。旧藩主前田家より拝領されたもので、古くより若者たちが力持ちを競った時に使われたものであるという。また、この石を触ると健康になると言われていて多くの人が触って健康を祈願している。
「さし石」や「前田家ヨリ拝領石」などと石に刻まれていた。
尾山神社の神門付近ではこれから結婚式に出るカップルであろうか、参列者も後ろに並んで歩いていた。
続いて鼠多門をくぐり玉泉院丸庭園に出て、左に曲がると木の橋の通路を歩き「鼠多門続櫓台」に行った。ここへは以前は行けなかっやが、鼠多門が完成してから行けるようになった。
鼠多門続櫓台から見る「鼠多門」で、見る角度が違うと雰囲気も違う。
反対側は、藩政期には「いもり堀」の続きとその向こうには「松原屋敷」があった。現在は広々とした敷地となっているが、以前は駐車場があった。今後はどのようにするのであろうか?
下の道路から見た「鼠多門続櫓台石垣」で、「いもり堀」がここで直角に曲がっていた。