2020年10月3日土曜日

大聖寺巡り(6)実性院

 大聖寺巡り(4)江沼神社長流亭の続きで、その後、山ノ下寺院群へ行った。ここには七つの寺と一つの神社が並んで立っているが、藩政期に城下町を守るために集められたとされる。

そのうちの「正覚寺」は、浄土宗のお寺で、本尊は靴を履いた履行阿弥陀如来像は平清盛から与えられたもので加賀市の重要文化財である。

「全昌寺」は大聖寺城主山口玄蕃公の菩提寺で、曹洞宗のお寺である。芭蕉が泊ったことでも有名で、517体の仏像がそろった五百羅漢もある。また、秀吉の直筆の書状も展示されているという。








































この辺りは、藩政期には大聖寺藩の家老の「神谷家」の下屋敷があり、足軽・徒歩屋敷が三十数軒あったことなどが刻まれた石物があった。



















「萩の寺」として知られる加賀曹洞宗の実性院は、1660(万治3)年に初代藩主前田利治公の御戒名の院号を頂いた。
先日の新聞に、ここの萩の花がきれいに咲いているのが掲載されていた。




パンフレットより



















本堂内部。この奥に大聖寺藩歴代藩主の位牌が置かれている「御霊堂」があるが、カメラ禁止だった。他に十六羅漢堂や座禅堂などがある。




























実性院の建物の横の階段を上ると山頂広場に「藩主一族の墓所」となっている。

一番大きいお墓が前田利常の3男で初代の前田利治の墓である。
























入口付近には最後の藩主で「紅雪」と呼ばれる能で有名な14代前田利鬯(としか)のお墓があった。




















初代利治の側には、追い腹を切ったという三人の家臣の墓もある。
























大聖寺藩主一族墓所の全体図
























ほとんどの墓が「五輪塔」であったが、万物を構成する五つの要素(五大=地・水・火・風・空)を象徴している。五大をそれぞれを方形、円形、三角形、半月形そして宝珠の形の石で表す。平安時代ごろに日本で考え出され、密教とともの広がったとされている。