2019年10月4日金曜日

尾山神社神苑

今回は、「尾山神社」の中にある庭園「尾山神社神苑」について講習を受けたので紹介する。ここは、5代藩主綱紀の時代から「金谷出丸」として金沢城の一部として使われ、庭園のほかに藩主一族の屋敷が置かれていた。藩政期後期には御殿が目まぐるしく変わり、庭園もその都度変わった。現在の庭園は、慶応2~明治2年(1866~1869)に13代斉泰の隠居による金谷御殿最後の普請に伴い、これまでとは大きく作り替えたものである。



















下図は13代斉泰の隠居した時の、金谷御殿を改装した屋敷図で、☆印の部分が3階建ての斉泰の「御居間」で、点線の部分は塀があったので、ここから塀越しに庭園を眺めたという。



















池には雅楽の楽器や装束をかたどった中島や石造アーチ状の橋など、従来の金沢城の庭園にはみられなかった斬新な意匠の池泉回遊式の庭園である。下図は上方から見た絵図で島の形状がはっきり分かる。















下図は「鳥観図」で、上図とは左右逆になっている。左上に「響遠瀑」、左下には「御亭」そして池には左に「琵琶島」、その横に「図月橋」その向こうに「鳥兜島」、手前に「笙島」がある。「鳥兜島」から向こう岸には「刎橋」が描かれている(現在はない)。後方の築山にはケヤキなどの巨木が植えられている。
















池は「響遠瀑」より辰巳用水を取り入れているが、その名前の通り、石組みにより遠くにいても水の落ちる音を響かせる技巧を凝らせている。げんざいは
























「琵琶島」には、飛び石または八つ橋によって渡ることができる。



















「笙島」は、長細い島で、菅の下端の筒を円柱の石で表現している。



















「図月橋」は、戸室石製アーチ形の橋脚を持ち、上面は凝灰岩の板石敷きとし、側面には櫓・土蔵・塀などの壁に用いられる腰瓦を転用し、側面を見せるように組み込まれている。(現在は渡れなかった)

































鳥兜は舞楽の頭に被る装束で、神社仏閣の民俗芸能でも用いられる。「鳥兜島」には、大きな「雪見灯篭」や「井戸」があった。「井戸」の丸い形は鳥の目を表すという。



















そして今は噴水があるところに、絵図には「刎橋」があったという池の幅がかなり長く、兼六園にあったという「愛本うつし」より大きな橋と思われ、もし今あったらすごい見どころの場所となっているはずだ。



















この「尾山神社神苑」は特徴のある庭園なので、もう少し整備してPRすれば、さらに金沢の観光の見どころが増えるはずだということを耳にするが、私もそう思う。さらに「刎橋」が復元されれば、もっと素晴らしいだろう。