金沢城の中に、現在ただひとつ陸軍が建てた建物がある。「旧陸軍第六旅団司令部庁舎」だった所で、金沢城の二の丸の端の敷地にあり、「切手門」をくぐるとある。
ここは、江戸時代は「二の丸御殿」の「奥向き」に使われた建物があったが、明治初期に消失してから、金沢城内は第九師団の本拠地として、師団司令部や兵舎などが数多くの施設が建設されたが、その時は軍人やごく一部の人しか見れなかった。戦後は金沢大学になり、ほとんどの建物が移転や取り壊された。
「九十間長屋」と兵舎と兵士
「旧陸軍第六旅団司令部庁舎」の建物は、第九師団設置時の1898(明治31)年で、瓦葺の木造平屋の建物である。建物中央に若干張り出した玄関を持ち、屋根が三角形に切妻のペディメント風で左右対称である。
玄関の左右の付け柱には、装飾がなされている。
側面は、レンガ積みの基礎に腰から軒までモルタル塗りで、上下窓を配した簡素な建物である。また、建物の背後には、湯沸かし所や便所などが別棟で建てられつながっている。
これは、明治初期から衛生、防災面で検討が加えられ、便所や火気使用部分は別棟とすることが義務付けられたからという。
内部は中廊下を通して旅団室や応接室などいくつかの部屋があった。現在は金沢城管理事務所が管理し、金沢城の関係者の会議室や休憩所、物置などに使われている。
金沢城内以外で残っているのは、現在は石引町にある「能楽堂」の横にある建物は明治31年に金沢城の二の丸跡に建築された「旧陸軍九師団司令部庁舎」で、昭和45年に現在地に移築された。その際に両側が半分に縮められたが中央は原型そのままという。木造2階建、茅葺で、初期洋風建築のもつルネサンス風の外観である。明治期の庁舎建築の模範となった建物である。現在は移転準備のためテントが張られ見ることはできない。
その隣にある建物は「旧陸軍金沢偕行舎(かいこうしゃ)」で、明治31年に陸軍九師団の創設とともに大手町に建てられた。木造2階建、茅葺で、将校の親睦の場として利用された。隣の簡素な庁舎風建物と好対照で、華やかな技巧を凝らした明治ロマンの感じがする建物である。
この二つの明治時代の陸軍の建物を利用して、現在の「石川県立歴史博物館」と「石川県立美術館」の間に「国立美術工芸館」が建設されるが、2020年の東京オリンピック前に完成予定である。日本海側初の「国立美術館」で、また金沢の観光の目玉ができるので楽しみだ。
下の右上部が「国立美術工芸館」の建物のイメージ図