東北地方南部ドライブ(8) の続きで、山寺から山形自動車道で宮城県側に向かって走り、遠苅田温泉に行った。ここの温泉の入口に足湯があり年配者が多く浸かっていたので、我々もここで浸かり一服した。次に蔵王エコーラインを通りドライブした。
途中、「滝見台」で車を止め、滝の見えるところまで歩くと「三階の滝」といって、落差180m、幅7mでブナかカツラの木々の間をぬうように流れ落ちていた。この滝はカニとウナギとの壮絶な滝つぼ争いの伝説が伝えられているという。
また少し走ると今度は「不動滝」が見え、これは大きな滝で落差54m、幅16mあるという。ここにも同じ伝説がある。
近くにきれいな花が咲いていた。
さらに走ると、今度は「大黒天」というところでは、周りに大きな岩石が散らばっていて、ここからは雪が残っている蔵王連邦ががはっきり見えた。また、ここにも荒々しい岩肌からの滝がきれいだった。
続いて、五色に変化するといわれている巨大なカルデラ湖がある「御釜」を見に行った。レストハウスの近くで車を止めて、見えるところまで小高い山を登るとき、風が冷たく強かったので、これまで非常に暑く半袖のポロシャツだったが、厚手のものを羽織って登った。
見下ろすと大変美しい「御釜」を見ることができた。天候が曇っていたので見えるかと思っていたが、大変寒かったがこのすばらしい景色が見れてラッキーだったと思う。
小高い山の山頂には神社があった。周辺に雪が残っていたので、雪の上を歩いて見た。
ここから蔵王ラインを通り、国道13号線から米沢方面に向かった。途中、南陽市の高畠を通ったが、以前東京にいた時に会社からここにある工場に何回か出張に来たので懐かしく思った。
その後、米沢市に入り米沢城の本丸跡にある「上杉神社」に行った。
ここは上杉謙信が祀られているが、謙信自体は米沢城には全く居たことはなく越後の春日山城で亡くなり、その後を継いだ上杉景勝が会津藩120万石を治めていたが、徳川家康と敵対したことで米沢30万石に減封された。その後13代まで続き米沢を発展させたという。
景勝に仕えたNHKの大河ドラマに出てきた天地人の「直江兼続」も城下町米沢の基盤を築いたことで有名で「天地人」の石碑が立っていた。
「直江兼続」といえば、加賀藩に関係する武将がいる。
「前田慶次」は前田利家の長兄利久に子がいなかったので、利久は慶次を後継ぎにしょうとしたが織田信長から戦功のあった利家を後継ぎにするよう命ぜられたいきさつがある。若い頃から利家と同じように「かぶき者」と言われていて、派手なことをやる人だった。前田家と縁が切れてから兼続に仕えて、和歌や武芸にも優れ米沢の地で亡くなったという。
「本多政重」は加賀八家の本多家の初代であるが、一時兼続の婿養子に入り、米沢にいたことがある。
この公園の中にあった庭
この公園の中にある立派な建物の「上杉伯爵邸」では「米沢牛料理」が日本庭園を眺めながら食べられるというところであるが、値段を見てやめた。
夜は泊まったホテルの米沢駅近くの手ごろな価格の米沢牛の店に入って食事した。
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