1か月前に掲載した北斎・広重展(3)北斎の画凶老人卍期 歌川広重 江戸風景画の続きで、さらに展示品を見る。次に広重の「東海道五十三次」の絵図を掲載する。
この作品は江戸時代の旅の様子が非常にわかりやすく描かれており、その時代の生活が手に取るように知れて見ていても面白い。
「お江戸人橋 七つだち・・・・」の歌でも知らるように、江戸の旅立ちは早朝を決まっていた。日本橋から京都まで約500kmで、十数日余りの旅が始まる。早朝七つは午前4時である。朱に染まる朝焼けの空を背に、鋏箱の奴、つづいて毛槍の奴を先頭に大名行列が日本橋を渡るシーンである。 橋の手前には魚河岸から鮮魚を運ぶ魚屋たちが騒がしい。
品川は上方から下る江戸の玄関口江戸の人たちはここまで来て、旅立つ人を見送ったという。人によっては餞別の酒席まで用意し、旅つ人は品川遊女とも別れを惜しんだという。
八山橋のがけっぷちまに旅籠や屋料亭、葦簀囲いの小茶屋が立ち並び、ここからの品川湾の眺望はすごくよかったらしい。春は桜の名所の御殿山、夏は潮干狩り、秋は紅葉の海あん寺の行楽地であった。
江戸を旅経ってから、初めて大きなか川に出合うが、多摩川の川下の六郷川である。古くは橋があったが、元禄の頃より渡船制度となり、「六郷渡し」と呼ばれた。川の向こうには川崎大師の参詣客でにぎわった川崎の宿。岸には船を待つ駕籠・人馬の群れ、川会所で船賃を払う人、筏を操つる人がいる。合羽で身を包む人も姿も見え、肌寒い趣である。西の空にたなびく霞は日差しに明るく映え、白い富士がくっきり見ええ、自然の風景、旅人や土着民の生活・人情が描かれている。
日本橋を出発して十里半(42km)で、そろそろ旅の一日が終わろうとしている。戸塚で泊る旅人は多い。たどりついた旅籠で、馬から降りる旅人、そばの女人は笠のひもを解こうとしている。「こめや」の大きな看板がかかる旅籠で、軒下に「大山講中」「月島講中」「神田講中」などの札が下がっている。
柏尾川に架かる橋の袂に「左かまくら道」の石の道標から、その道の2里半先に鶴岡八幡宮に至る。
土饅頭のような形の丸い山が中央にでんと座っていてユーモラスである。丸い山の影に白峰の富士山が少しだけ顔を覗かしている。田んぼに囲まれた縄手道は斑な松並木で、この道を飛脚が江戸に向けて走っている。一方からの籠を横に担ぐ相手方と息杖の先に二つの傘をかけ肩に担ぐ駕籠かきの二人がのんびりと談笑しながら帰る途中である。急ぎ飛脚とのんびり帰る駕籠かきのたいひがユーモラスである。
酒匂川の渡河風景であり、立派な乗り物を輦台に載せ、20人近い人足が担いだものや4人で担いだ輦台もあり、人足の背にまたがり渡河する旅人もいる。増水で最新1mを越えれば、馬越を禁止し、1.4mを越えれば川渡を一切禁止した。遠景の山々は天下の剣に箱根山で、難所と言われた箱根越えをするには、どうしても小田原宿で十分な休息をとらねばならない。もちろん弥次喜多もここに泊まり、五右衛門風呂の失敗談を残している。
この絵は、私もよく見た記憶があるが、大岩ばかりが目立つ山が天にも届かんばかりにそびえ立つ」。木も生えぬ山肌は、風雪の厳しさを物語っている。「天下の剣、千尋の谷」とうたわれたのは、まさに実感である。山あいの峠を下る参勤交代の大名行列が延々と続く。険しい山々から目を左に移せば、眼下に芦ノ湖の景観パッと開ける。静かな湖面で、河畔には箱根神社が書き添えられて、遠景の山並みのかなたには、雪化粧した富士が美しい姿を見せている。
早春ののどかな梅の季節で、空がピンクでうららかな温かい雰囲気が漂う。中央の大きな白桃の花は、今を盛りに咲き誇り、梅もほころび、緑さすである、畑の中の一軒家。「名物とろろ汁」の看板、窓には「お茶漬け」「酒さかな」、柱にはあんどんには「お茶漬け」とある。
名物のとろろ汁をすすっている二人は、弥次喜多もどきの人物で、接待するのは乳飲み子を背負った店の女房。
朝もやが立ち込める中を早立ちの旅人は箱根へと向かう。朝冷えに駕籠の中の客は身をすくめ、馬上の旅人も紺がすりの合波羽で身を包み、馬子も菰を撒いて寒さをしのいでいる。三島大明神の社殿も大鳥居も民家も、朝霧に包まれている。
川幅1300mの大井川の渡しは街道一の難所であった。渡し賃は水深により異なり、肩車では水深膝通し46文から脇通し90文まで、水深5尺になると全面通行止め。そうなると島田宿も対岸の金谷宿も川止めをくった旅人がごった返した。ばくち場は繁盛し、飯盛り女は引っ張りだこ、川止が続けば旅人の懐も底をついてしまう。旅人の運・不運は、この大井川で決まるという。
宇津ノ谷峠は、昼なお暗い山道である。丸子宿と岡部宿の中間に立ちはだかる宇都之山にあり、その昔の旧道は「蔦の細道」と呼ばれる険しい杣道であったらしい。図は商人らしき旅人や芝を背負った女性で、向こうは、薪をかついた杣人たちが行き交う。この峠を下ったところに小さな里がある。それが岡部宿である。先の大井川が川止になった時、大井川東側の島田宿、続いて手前の藤枝宿が満杯となり、その手前の岡部で泊る客が多くなる。
東海道中最大の大橋と言われた「矢作橋」を、江戸に向かう大名行列が行く。先頭には、毛槍を高々とかかげ、立派な乗り物を中央に、大勢のお供が連ねる。この「矢作橋」のながさは300m、幅が約7mもあった。
行く先には家康公ゆかりの岡崎城の楼閣がいくつそびえる。この天守閣の威容には旅人も目を見張ったことだろう。中央の黒い山は、松平家の祈願所・甲山寺のある甲山。遠景の青くかすむのは村積山という。











