卯辰寺院群探訪会 震災復興への道のり(1)の続きで、その後「來教寺」の裏の方にある「円光寺」に行った。ここは、妙法山と号する日蓮宗の寺院である。1521(大永元)年創建とされ、2代藩主利長からの信頼が厚く、利長にしたがい守山・富山・高岡に移り、1636(寛永13)年に現在地に移った。利長が高岡在城の頃に守り本尊として信仰した。観世音菩薩像が安置されている。
震災では本堂の外壁漆喰が剥落し、大屋根・向拝屋根ともに瓦にずれが生じた。土塀は東側石積みが崩れ、漆喰壁が剥落し、北側屋根瓦が落下した。本堂の外壁漆喰の塗りなおしはまだやられていない。
続いて「本光寺」は、鳳栄山と号する法華宗寺院で、当初は越中射水郡浅井にあったが、その後2代藩主利長に従い守山・富山・高岡に移った。金沢では当初泉寺町にあったが1649(慶安9)年現在地に移った。市指定文化財になっている山門は卯辰寺院群随一の薬医門で、築のランドマークになっている。
震災では山門前の常夜灯が被害を受けた。宝珠や火袋などの上部が落下し、土台の石積みにずれが生じた。
「全性寺」は妙具寺と号する日蓮宗の寺院で、当初は越中射水郡浅井に放生津あったが、その後2代藩主利長に従い守山・富山・高岡に移った。1786(天明6)年に現在地に移った。わらじ奉納寺として有名で、仁王門には身体健全や子供の成長を願って奉納された草履が多くぶら下がっている。「赤門寺」として卯辰寺院群でも目立つお寺である。
震災では西側土塀が基壇ごと崩壊し、東側土塀も版築上部が崩落した。
令和7年には、これらの崩壊した所など修理しているという。
続いて「妙国寺」にいった。ここは日向山と号し、日蓮宗の寺院である。。1614(慶長19)年開創とされている。日蓮作とつたえられる大黒天像を安置し、別名で大黒寺とも呼ばれている。境内の大黒堂は1810(文化7)年日亀の建立で、丸い宝珠をかたどったされる特徴的な形をしている。
震災では大黒堂の外壁漆喰のひび・剥落が生じた。令和6年に実施した修理では破損個所を一度はがし、荒壁を補修、中塗り漆喰仕上げをした。
震災では西側土塀壁面が剥離し、屋根瓦も落ちた。南側土塀もれ根の棟瓦にずれが生じた。令和7年には実施した修理では、西側土塀は古壁を落とし中塗り仕上し、屋根部分は割れた瓦を取り換えて積んだ。南側土塀は屋根の棟瓦を積みなおした。
ここの住職の計らいで寺内を見せていただいた。そして住職の話を聞かせていただいた。「お寺で「・・・社」と名が付いているのは珍しく、わずかしかないということであった。
本堂の中の正面の上には「格天井」に絵が描かれたきれいで立派なものであった。
下図は寺宝の「絹本著色阿弥陀三尊来迎図」であろうか。
「心蓮社」の庭園は、寺院の中にある庭園としては金沢市内でも有数の素晴らしい庭園で、自然木で北限と言われるツクバネガシをはじめ、ケヤキ、タブノキなど年齢を重ねた庭の樹木と池が調和し「めでた造り」で知られる築山池泉回遊式庭園は、江戸期の庭園を今に伝えている。
以前んの心蓮社を見た時のブログ