2023年10月27日金曜日

大聖寺 実性院

 「深田久弥の文化館」を見た後、まだ山中温泉に行くには時間が早かったので、以前行ったことがある「実性院」に寄った。境内の参道の先に「ぼけ封じ白寿観音」が立っていた。観音様のご慈悲を頂き、幸福な生活を願って建立されたという。秋の七草にも数えられる萩が見ごろで、可憐な花は古くから詩歌に多く詠まれている。

































ちょうどこの日は、陶芸家の高光一生しの花器と生け花が展示されていた。高光一生さんはあの洋画家の高光一也さんの長男だという。



















コーヒーカップなどが手のされていたが、これは「今久谷風窯」の作品で、九谷焼を創始した大聖寺藩前田家御用達釜として7,久谷のルーツ古九谷を現代化し、今の時代にあった作品作りの心掛けたという。武家が大切にした縁起にも心を配ったという。


















棚の中にも素晴らしい久谷焼の作品が並んでいた。


















歴代大聖寺藩主前田一族および殉職者を祀った位牌が安置されているのが御霊屋(おたまや)と称する位牌所がある。


















位牌所は雲形袖付五重座位牌で一体一体に重厚な蒔絵が施され、御霊屋内部を飾る障壁画とともに見事なものである。


















本堂の外陣・内陣


















その一角に一人の男の人が、琴の演奏の練習をもくもくとやっていた。後日、この寺で演奏会をやるのだろうか?


















ここの庭園は、築山池泉式の趣向をがとられ書院庭園らしく、明暗を表した空間構成となっており、四季折々の風情を楽しむことができるという。
































「金龍山 実性院」本堂の玄関


















十六羅漢堂


















座禅堂

十六羅漢堂、座禅堂や檀家さん、住職の墓を通って階段を上がると、ずらりと歴代の大聖寺藩主の墓が並んでいる。
































一番大きく、目立つ墓は初代大聖寺藩主前田利治の墓である。利治は加賀藩3代藩主前田利常の三男である。また、藩士の後藤才次郎を佐賀の有田焼の習得に派遣させ、後に九谷焼の生産に繋がったという。


















14代前田利鬯は、加賀藩13代藩主前田斉泰の7男として生まれ、江戸末期になった最後の大聖寺藩主で、特に能をよくたしなんだことで有名である。大正9年に亡くなっている。




































境内には「一里塚」と描かれた九谷焼の絵皿がはめ込まれた石碑があった。「参勤交代 出発の地」と刻まれている。