今回は、「神明宮」に「左義長」に行った際に、犀川大橋から桜橋の右側を歩いた。(1月12日)
今年の「神明宮」の「左義長」は4日間あり、今日は2日目である。
「神明宮」に着いたのは午前9時15分ごろで、始まって間もなくだったので、まだ火は小さかった。
「左義長」の元祖であるこの神社で、「健康で居れますよう」丁寧にお参りした。
続いて犀川大橋を渡って、桜橋方向に向かって川沿いを歩いた。向こう岸に高いポールの上方に円盤型のものが立っていた。これは、犀川上流にある「犀川ダム」や「内川ダム」などが放流した時に、急に水が増える可能性があるので、それを知らせるサイレンを鳴らすものだという。
その説明版が手前の岸に掲げられていて、サイレンの流し方も描かれていた。
ここにある大きな水門は、河川敷に下りられるようになっているが、洪水警報などの発令時には閉めると描かれていた。その時はどういう手順で閉めるのか気になった。
10数年前の浅野川の氾濫で水門が明けたままであったことで、被害が大きくなり、もめていたことを思い出す。
さらに歩くと対岸には、「センチェリーカレッジ」の建物の上に高級料亭「つば甚」そしてレンガ色の建物「金沢モリス教会」の建物の上に「谷口吉郎記念館」の建物が見える。
川沿いの道にはレトロな「ガス灯」があり、春にはきれいに咲く桜並木がずらりとある。
さらに歩くと金沢榮譽市民第一号の「谷口吉郎」が建てたという「室生犀星文学碑」が建っている。後ろには「徳田秋声文学碑」と同じように武家屋敷塀がある。
昔、市民が子供たちの疫病払いに犀川に流したという流し雛を型どった赤御影石の碑には、犀星自筆の「小景異情 その六」の「あんずよ花着け・・・・」の詩が刻まれている。春になると後ろの塀の屋根の上にはあんずの花が咲くという。
高浜虚子の弟子「杉原竹女」などの句碑もある。
「室生犀星文学碑」の裏からは「桜橋」が見える。「とみ子夫人」と出会った最初の場所が「桜橋」あったことが、「つくしこいしの歌」の作品に出ている。
金沢大学名誉教授で、歌人でもある村上賢三氏の「犀川の雪消の水の音高く 遠ざかれども なほもきこゆる」と彫られた句碑もあった。
俳句雑誌「ホトトギス」の二代主宰の高浜虚子とその息子の句碑がある。”北國の時雨日和やそれが好き” 虚子、”秋深き犀川ほとり蝶飛べ” 年尾