津田家は、加賀八家とともに1万石以上の重臣12家のひとつで、これらで加賀藩政を主導したという。
玄関上部の梁の上に龍が細かく彫られていた。
入母屋造りの屋根は当時の面影を残す。私の子供の頃、ここの窓から武道の寒稽古(?)の様子を見たことを記憶している。
玄関の前には、「辰巳用水」に使われた石棺や割と新しそうないくつかの小さな灯篭が置かれていた。
また、ここの庭には兼六園の名木などが枯れた時に備えて、若木が育てられている。「兼六園菊桜」の2代目が去年枯れて朽ちてしまったので、今年の春に3代目が現在の場所に植え替えられる予定だ。
続いて、レンガ造りの建物の「歴史博物館」に行った。
ここでは、今日(1月26日)のニュースで知ったが、「復元画でよみがえる金沢城」展を見に行った。これは、金沢美術工芸大学の非常勤講師である「末松 智」先生が描いたものである。
「末松 智」先生は、ウィーンに13年間滞在し、美術と工芸を修得し、帰国後その経験を生かして、金沢城の復元画に17年間取り込んでいるという。残念ながら、その絵についてはカメラ禁止だった。
昔の絵図や写真を参考にして描いたという二の丸菱櫓、二の丸式台(正面玄関)、二の丸表舞台、東の丸辰巳櫓そして今度再現が計画されている鼠多門(玉泉院様丸御門)などの絵が展示されていた。二の丸菱櫓や五十間長屋の絵は、現在ある建物が復元される前に描かれたものだという。二の丸表舞台は、現在中村神社にある能舞台を参考にして描いたという。(中村神社にあるものは、二の丸の中にもう一つ能舞台があったがそちらのほうだといわれている)。また、二の丸唐門は現在尾山神社の裏にある「東神門」を参考にしたという。
今度の金沢城公園の復元計画は、玉泉院丸庭園と尾山神社を結ぶ「鼠多門」と「鼠多門橋」であるが、発掘調査でかなりのことが判明され、再現に向けて弾みがつくという。しかし、以前の橋の高さでは、現在の道路上を走っている車が通れないというが、どんなものができるのだろうか?
下図の絵は、今回の金沢城復元画展の案内はがきに載っていたものである。