東外惣構堀(2)の続きで、材木町の通りは大変古く、藩政期以前からあったという。金沢市東南部の二俣、若松といった農村地帯の住民が青果物を売りに来たり、ここで買い物をする場所で商店も多かった。
この通り沿って細い道があったが、堀と土居の城側にある「内道」と思われるが、その脇に土塀に囲まれた古い建物があった。ここは、もと加賀藩定番馬廻組の山森氏の邸宅で、庭には老木もあり、門や土塀とともに妻入りで大きな白壁が堂々とした構えを見せていて武家屋敷の景観を表している。金沢市の指定保存建造物となっている。
「下土橋」がある所に、「東外惣構堀」の標柱があったが、藩政期には「下材木町橋」と呼ばれていた。
「人見橋」の横に木橋が並んでいたが、これはいつ頃のものであろうか?以前はこちらに道があったのであろうか?
この近くに、浄土真宗の古刹として名高い。専光寺、瑞泉寺とともに藩政期に加賀藩内宗院の触頭をしていたという「善福寺」がある。ここで有名なのは本堂が土蔵造りで、土壁の厚さは1尺もあり、漆喰塗りで、軒先まで塗りこめ、開口部の引戸や扉も土塗りで耐火性を高めている。宝暦の大火後の金沢の寺院の復興を物語る貴重な建物という。
本堂の玄関の柱の両側に、キバをもった龍か象か分からなかったが、すごい形相ものが彫刻されていたが、これも火から寺を護るためか?
その後直角に曲がり「小鳥屋橋」をくぐり、大橋近くの浅野川に注いでいる。
下図は文化8年の「町方絵図」の中の橋場町店舗町並である。浅野川大橋と枯木橋の間には「古手、呉服」(使い古された衣類)と記された小さな店がすらりと並んでいる。