2024年2月9日金曜日

地震1か月後 兼六園の様子

今回は、2月3日(節分の日)に、歌劇座で講習会があった後、天気が良かったので「兼六園」を散歩した。

「真弓坂」から入り梅園の方に行くと、今年は暖冬で早いと聞いていたが、やはりちらほら梅の花が咲いていた。

「時雨亭」 のすぐ先にはある「寒紅梅」

































黄色の花の「ロウバイ」はかなり開いていて、近くに行くと良い匂いが漂ってくる。














この梅園でいちば多い「白加賀」はもう少し先のようだ。


















「成巽閣」前の「ヤマトフデゴケ」の苔地は鮮やかな緑色だ。


















「花見橋」は地震で傷んだのか、完全に取り外されていて、近くに仮橋が作られていた。



















子孫繁栄の願いを込めて作られた「鶺鴒島」にある鳥居の扁額が少し傾いているようだ。また、人生の3大儀式の最後の「死」をあらわすという五重塔の先端の石がなくなっていた。


















「明治紀年之標」の「日本武尊像」は足が非常に細いが倒れていなかった。一般の人が見ると不思議に思えるが、この足は2本の棒が台座の下に長く入りこんでいると聞いたことがある。


















「雪見橋」や「七福神山」の石や松などはあまり変わっていないように見えた。


















唐崎松も大丈夫のようだ。


















藩政期には辰巳用水を兼六園から金沢城に逆シフォンの原理で通していたが、辰巳用水の曲水の水の取り入れ口から「奇観亭」の横を通って「大桝」まで2列の石板が引かれているが、下の方は石管などが崩れていてブールーシートが掛けられたいた。
























噴水や黄門橋(石橋)などは問題ないようであった。































栄螺山付近の路は通行止めになっていたが、栄螺山の石垣が崩れていてシートが掛けられていた
兼六園は一見は大したことがなかったようであるが、やはりあちこちに被害は出ているようであった。