久しぶりに「千日町」にある「室生犀星記念館」に行ってきた。今回の特別展は「旅する犀星 北信越編」というで、私も旅が好きであり、まだ現役のころに1泊のドライブで「北信越地方」へよく行ったので、金沢の文豪の室生犀星がどんな所へ行ったのか興味があった。
館内に飾られていた犀星の多くの作品の表紙と大正9年に発売された最初の小説「性に目覚めるころ」の書籍
庭づくりの大好きな犀星は、あちこちに庭が残っている。
東京馬込の庭の大きな写真が館内に展示されていた。小説もさることながら庭づくりもすばらしい。
記念館の庭に犀星の庭にあった「九重塔」や「四方仏のつくばい」が再現されたいた。
晩年は旅行嫌いになったが、若い時は犀星にとって、今ある立場から脱却して、明るく新しい未来を切り開くために旅はどうしても必要だったという。そしてまた、新しい「詩」をもたらしてくれるものだった。家庭を持ち、小説家となった犀星は心身の疲れを温泉で癒し、創作に励んだという。
犀星の初めての旅は、おそらく明治39年4月に職場の俳句仲間と行った、手取川上流の旅であろうという。土曜日の昼に仕事を終えてから出発し、鶴来に1泊して手取川渓谷の名所をたどる旅であった。この旅での犀星のはしゃぎぶりが、犀星の上司の紀行文「遊吉野」に描かれているという。
その1か月後に、俳句仲間と日帰りで医王山に登った。午前2時半に出発し。大池、鳶が峰を経て白禿山の山頂を上り、夜8時に帰りに着いている。この時も同じ上司が紀行文「医王山行」に描いている。
犀星にとっては、楽しい旅の思い出であるとともに、後の作品にも影響した、かけがえのない体験となったという。このころは、金沢の街からずっと歩いたのであろうか?
下の写真の雪をがぶっている奥の方の山が医王山である。私も学生時代に2度登っているが、見上山荘までバスで行っている。