今回は、足立美術館で所蔵している「横山大観と北大路魯山人展」を「石川県立美術館」で見てきた。10数年前に「足立美術館」に行っているが、きれいな庭園は見た記憶があるが、この画家たちの日本画を見た記憶がないということから、有名な二人の絵を見たいと思い行ってきた。
「足立美術館」へ行った時のブログ
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北大路魯山人は金沢にゆかりがありよく知っていたが、横山大観はよあまり知らなかった。明治~昭和にかけて活躍したわが国の近代美術を代表する画家である。明治元年に水戸藩士の家に生まれ、東京美術学校(現東京芸術大学)の代一期生として近代美術を学んだ。その中心的存在が近代美術界や文化行政にに多大な影響を与えた「岡倉天心」である。そして天心の片腕として日本美術界を支える存在となった。大観の芸術に通底するのは「日本とは」「日本美とは」を追求することであった。

美術館での作品はカメラ禁止だったので、冊子から紹介する。横山大観の展示コーナーに入ったら最初に目に入ったのが下図の絵で、子供が一人、どこを見るともなく春の川辺にたたずんでいる。大観が29歳で描いた絵である。作品名は「無我」で仏教の悟りの境地を意味する。釈迦は35歳で悟りを開いたというが、大観は小さな子供の姿をもってその表現をした。
1940(昭和15)年は神武天皇の即位から2600年とされ、日本各地で紀元2600年の祝賀行事が開催されたという。この時に大観も山十題、海十題を出品した。富士の冠雪と空想上の龍の構成が幻想的な空間を作り出した。
「海潮四題・秋」は海の夜を四季に分けた描いたもので、下図は秋で雲間に姿を現した満月。
寄せては返す白波や波間を歩く三羽の千鳥など月明かりの空間を交錯する。
横山大観と下村観山の作で大観が鷲図で、観山が虎図を描いた。同じような構成であるが、空や岩の違いを比較すると面白い。
「唐犬図」 橋本関雪作
橋本関雪は動物図に手腕を発揮しているが、白と黒との斑の犬はボルゾイといい、「唐犬」とは舶来の犬という意味だそうだ。悠然と佇むボルゾイのふさふさで柔らかそうな毛並みが見事に描かれている。
「娘深雪(みゆき)」 上村松園作
上村松園は清らかで気品ある女性像によって独自の境地を開いた。本作は浄瑠璃「生写朝顔話」のヒロイン、秋月深雪を描いたもの。大正時代に作品である。
「食器は料理のキモノ」とは、美食家で陶芸家の北大路魯山人の有名な言葉で、おいしい料理にはそれにふさわしい食器が必要であるという意味で、魯山人の原点を語っている言葉である。以前のブログ「山代温泉 北大路魯山人寓居跡」
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「火月碗」
「金むら手津本」
金襴手は色絵陶磁器に金彩を施す装飾技法のことで、中国から日本に伝わった。本作は紅い器体に金泥によって葡萄文が全面に描かれている。文様の金泥が掻き落とされることにより、より葡萄らしい表情を持つ。高台に染付で「魯山人製」とある。
「織部長鉢」
「信楽刻線文壺」
信楽の土でたっぷりとした壺に、灰釉が自然釉のように施され、その釉薬の流れが見どころである。また、肩の下部にかけて「粛然絶俗」と刻まれ、その中に釉薬が入れ込まれている。