2025年3月6日木曜日

超寒波第二波の最終日の兼六園(2)

 超寒波第二波の最終日の兼六園(1)の続きで、さらに園内を歩く。山崎山の下に辰巳用水の入口が見える。この辺りは用水の両側の石組が見ごたえがあるはずだが、雪で覆われていてよく見えない。付近には小さな灯篭も添えられている。



















その用水の入口をアップして見ると勢いよく水が流れているのが見える。入口前の「水分け石」の上にも雪が積もっている。



















築山である山崎山の頂上にある茅葺の御亭からは、今は一面が雪で埋もれているが、秋には園内で一番紅葉がきれいな所で、季節によって随分雰囲気が違う。


















階段の途中に置かれている「御室の塔」は、13代藩主斉泰が成巽閣に住んでいた母上(真隆院)のために建てた京都の仁和寺の五重塔を模した石塔である。斉泰の意気な計らいである。
























「鶺鴒島」の前から見る「花見橋」は、最近作り替えたばかりで木造の外観が新しい。この橋を私の友人の知人が落札して作ったと聞いている。ただ、この付近の初夏の「杜若」が最近咲いていないのが寂しい。


















13代藩主斉泰が、その頃盆栽で流行っていた根を盛り上げる木を外で作りたいということで、作った「根上松」は180年経って高さが15mの大きな木に育った。この「雪吊」は「幹吊」というつり方で雪の重みよる枝の折れるのを防いでいる。
























幹の上の方に何重にも巻いてある所から周囲の枝に何か所も結んでいる。


















木の周りに支柱が立てられ補強している。枝の縄の縛り方も見える。


















「明治紀年之標」の銅像横には、本願寺から寄進された手向松の雪吊も大変すばらしい。


















「兼六園熊谷桜」の下側から「雪吊」の上面を見る。
























「七福神山」の雪吊と自然石を七福神に見立てた石はほとんど埋もれて見えない。前の「雪見橋」は完全に雪が被っている。


















曲水の添景となっている「雪見灯篭」は笠が大きいので多くの雪が積もっている。


















霞ヶ池は凍っているのかよく分からないが、その池の中にある仙人が住むという「蓬莱島」は、亀に似ていることから「亀甲島」とも呼ばれている。不老長寿を願って作られた島である。


















兼六園では雪の風物詩ともなっている「唐崎の松」の「雪吊」はいつ見ても素晴らしい。


















「唐崎松」は枝ぶりが素晴らしく池の中まで枝が伸びているので、そこまできれいに雪吊がなされているのが見える。


2025年3月1日土曜日

超寒波第二波の最終日の兼六園(1)

 今年の金沢の雪の降り方は、今までと違って5日~1週間ほど毎日5~10cmくらい積もるというもので、第一寒波が来て、その後、1週間天気が良くなって、また第二寒波が1週間くらい雪が振り続けるというものだった。今回の雪は、第一寒波のピークが40数cm、第二寒波20数cmくらいの積雪となったが、山雪型で標高が高くなるほど積雪量が多かった。ちなみに旧河内村は120cm、白峰は250cmくらいだった。

久しぶりの雪だったので「兼六園」の雪化粧を見たいと思い出かけた。美術館側から兼六園に入った。(2月24日)

まず「金城麗澤」に行った。ここは「芋ほり藤五郎」の伝説があり「金沢」の名前の由来となったところである。



















中には湧き水が出ていて、いつでも澄んだ水が満々とある。水の中には誰かが投げたコインいくつも沈んでいる。この神聖な場所は12代藩主前田斉広が作ったと言われている。



















天井には、石川県の画家が描いたという「龍」の絵が掲げられている。この龍が下の水の中にあるコインをくわえたという。「金城麗澤」の額は「市河米庵」の筆で「武田友月」が彫ったものだという。


















右側に階段があり、そこにはいくつもの「鳥居」が連なっている。
























階段を登りきると「金沢神社」の「山門」に着く。ここは「学問の神様」の「菅原道真公」が祀られているので、ちょうど受験シーズンなので願いが叶うよう多くの「絵馬」が掛かっていた。


















朱色の「手水鉢」にある水は「明治11年に医学校教師ホルトマン氏の分析によれば○○○○が含まれていて貧血や心臓の衰弱している人によく効く」などが案内板に描かれているようだが、よく読めなかった。


















鮮やかな朱色の拝殿で、丁寧にお参りした。


















山門の階段を下りて、「放生池」に流れる用水に架かる欄干に擬宝珠のある石橋を渡る。この橋は、「明治紀年之標」や「尾山神社」前の橋と何となく似ているような気がするが、これらの橋は明治初期のころに作ったものであろうか。橋付近に「いぼとり石」が雪で隠れている。子供のころにこの光った石にいぼをこすりつけた記憶がある。


















「金沢神社」の横にある「小立野口」への道は、いかにも雪国の呈をなしている。



















棒の代わりに竹を角錐に立てて縄を張る小さな雪吊も多く見かける。
























三要石の一つといわれる「龍石」と椿の木と灯篭

























曲水に浮かぶ島「鶺鴒島」には「三社」の額がかかった鳥居の後ろに「陰陽石」、「相生の松」と「五重塔」が一生の3大儀式を表し、子孫繁栄の願いが込められたという島



















その少し上流には、水の流れが片側だけに行くように石が並べられていた。


















薦がかかった灯篭は「蓮花寺型灯篭」で、円錐状の細長い笠に特徴がある。
























こちらの曲水にも柵のようなものが懸かっているが水量調整にためだろうか。


















この薦に包まれているのは「寄石燈籠」で「おばけ灯篭」とも呼ばれている。笠の上にはこんもり雪が積もっている。