2015年8月14日金曜日

田井菅原神社

今回は金沢まち博2015の御神宝めぐりで、天神町にある「田井菅原神社」に行ってきた。金沢まち博は、ここ数年毎年楽しみにして行っているが、最近は応募者が多くなっているのかだんだん抽選が当たらなくなっていて、今回は今年は初めての参加である。




















早速、ここの田邊宮司より説明があった。神社の御神体は、菅原道真より直接賜った自画像であると伝えられている。この自画像は、菅原道真が大宰府(福岡県)へ左遷される途中、河内国の道明寺(大阪府藤井市)の叔母を訪ねた際、田邊左衛門に与えたもので、以来、田邊家では家宝として守り伝えたという。後に、田邊喜兵衛の代に、加賀藩3代藩主利常より十村役を命ぜられ、代々その職を継いだが、、邸内に社を建て、菅原道真の自画像を祭った。明治期に田邊家の庭園内に神社が建てられ、1880(明治13)年に田井の産土神となったという。




















境内には、13代藩主斉泰公より拝領された大黒さま(大国主命)が祀られていた。




















また、芭蕉の句碑「風流の はじめや奥の 田植唄」があるが、側面に明治21年3月建立となっているので、後からもってきたものだという。この句は芭蕉の「奥の細道」の旅に出た最初の頃に詠った句だといっていた。ここにも芭蕉の句碑あったとは知らなかった。




















この神社で、よく知られているのは初詣の時、古文書に則り加賀藩主献上鏡餅を再現していることである。ここに所蔵されている古文書に、1802(享和2)年12代藩主斉広公の初のお国入りによる新春の献上鏡餅のことが記されているものを見せてもらった。この鏡餅は三点セットになっており、真ん中は床の飾り餅、向かって右側は蓬莱飾り、左側は櫓餅で、大小52個の紅白の餅が使用されている。再現するには約2石2斗(340kg)のお米が必要という。現在は蝋を溶かして作った模倣品を利用しているという。
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http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/data/shrine/img_185.jpg?20150811061256より

古文書には「白が上」と記されているが、白は地、赤は天をあらわし、古来の「易」などでは天地を逆に配置する二が「泰」すなわちよい形であるという。下図は江戸時代の描かれた鏡餅の絵図である。


























続いて、拝殿に飾ってある絵馬などを説明して頂いた。下図は、尾小屋銅山を経営していた横山家から奉納されたもので、構内の「明かり」として「カンテラ」の開発が成功した御礼として奉納されたという。この絵馬には、ここのご神体の菅原道真公が描かれていた。




















下図の絵馬は明治7年に奉納された「田井小学校」のもので、明治5年の「学制令」により、石川郡
田井村に、寺小屋が小学校として発足した時のものである。教師や生徒の名前が刻まれている珍しいものである。その当時は遠く湯涌の生徒が2時間半かけて通っていたものもいたという。




















平成になってからの奉納された絵馬であるが、尾張町にある老舗の友禅染などの袋物を扱っている「木倉屋」のものも飾られていた。