2025年5月4日日曜日

竹久夢二記念館 湯涌温泉

 今回は久しぶりに「湯涌温泉」の「総湯」で、のんびり風呂に入りたいと思い、出かけた。その前に「総湯」の横にある「竹久夢二記念館」に入った。20年位前に同窓会の帰りに寄ったことはあるが、中の展示物の内容はあまり覚えていない。

竹久夢二は、絵画、デザイン、そして詩文など数多くの作品を残しているが、その中でも特に美人画を残していることで有名で、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた大正ロマンを代表する画家である。












竹久夢二は、たびたび転居を繰り返し、その数が60くらいともいわれている。旅に人生を費やした夢二は、金沢は特別な存在であった。

夢二をめぐる女性たちの中でも「たまき」、「彦乃」、「お葉」の三人の女性が大きな影響を与えているという。

























「たまき」との出会いから竹久夢二の実人画が生まれた。目が大きく、夢見るような女性像は、「夢二式美人」と呼ばれ、一世を風靡した。「たまき」を別れた後、京都に滞在後に金沢に2週間滞在し、「たまき」の生家のあった味噌蔵町、土塀のある長町や兼六園、寺町、野田山にも足を伸ばした。金沢の印象については日記などに「水の多い、空が暗い、山の高いこの街」「静かにて人々のどこかに信仰厚き金沢は気に入った」と記している。「恋人が生まれし金沢は塀長うして細き雨降る」と詩っている。




















その後、夢二は恋人彦乃と次男不二彦とともに京都の猛暑を避け、金沢では柿木畠の藤屋旅館に滞在した。西町の「金谷館」で「夢二抒情小品」展を開催した。画会の成功に母衣町の常盤楼で歓迎会も行われた。彦乃の療養を兼ねて湯涌の山下旅館に3週間滞在した。その間彦乃との愛を深め、山の杣道を歩いて制作に励み、「湯涌は心のふるさと」になったという。

























夢二の最初の金沢での足跡で、三度滞在している。金沢市街のみならず郊外まで足を伸ばしている。赤⑧はたまきの生家、青③金谷館、青⑤藤屋旅館
























今回は、「竹久夢二記念館」名画総選挙の結果が美人画やデザイン、子供絵などのジャンル別に一番多かった絵が掲載されていた。
























「美人画」のトップは下図の「ほたる」で、日本髪に和風の立ち姿の女性で、喜多川歌麿の「更衣美人図」を思い出させる。豪華な衣装や視線の先には恋文と蛍が描かれているから遊女とみられるという。
























下図は何度か見た記憶があるが、「湯の町」(大正6年)は湯涌温泉であろう。
























夢二の代表作である「黒船屋」は、菊藤ホテルで誕生した作品である。黒船屋という屋号、黒猫、黄八丈、白い肌・・・それぞれが強い個性を融合し、悠久の名画となった。
























原画 楽士(『婦人画報』238号口絵)
























「婦人クラブ」の表紙で、「美人画(印刷)」のトップ
























「セノオ楽譜No.44「小唄 蘭燈」