ラベル 他地区の散歩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 他地区の散歩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年8月18日火曜日

山中温泉 鶴仙渓

山中温泉街に沿って流れる美しい渓谷「鶴仙渓」は、約1.3kmにわたる遊歩道もあり、美しい景観を眺めながら歩くことができる。ちょうど新緑の光景が素晴らしく見ごたえがある。




























「こおろぎ橋」は昨年に建て架けられ、総ヒノキ造りの木造橋で「鶴仙渓」のシンボルともなっている橋である。昭和53年にはドラマ「こおろぎ橋」の舞台となったことで有名になった所である。




















橋の中央から上流側を見ると、昨日からの雨で大量の水がながれているので、流れが早い所は霧が上がって向こう側が見えなくなっていた。




















橋の真下は、川幅が非常に狭いが、川底はV字状でかなり深くなっているのだろう。




















橋の袂に俳句などが刻まれた石碑が立っている。



















遊歩道はきれいに整備されていて、片側は川で、反対側は土や岩の崖になっている。杉の木立の間の風光明媚な景色を見ながらゆっくり歩くと気分がよぅなるところだ。



















この季節は雨が多いので、特に苔が両側に生えきれいな緑色をしていた。岩肌や並べられた石にも苔が生えていた。
























途中には橋もかかっており、橋の手摺にも苔が生え、これもまた見ごたえがある。
























また、東屋もあるので疲れたら一服できる。




















遊歩道を歩きながら、所々で川を見ると流れが早い。

この石かどうかわからないが「石采巌」と呼ばれる石は、中国金陵の辺りに泊舟の小馬頭にして付近の景色采石江辺りに似ていることによって名付けられたものと案内板に描かれていた。

この日にはなかったが、後日この辺りに川床で一服する場所が作られ、観光客が素晴らしい景色のせせらぎを眺めている様子が新聞に掲載されていた。




















さらに遊歩道を歩いていくと川の両側の新緑の中に「あやとり橋」が見えた。
























「あやとり橋」は紫っぽい鉄製の奇妙な形(昔遊んだあやとりのような形)をした橋である。



















大きくひねられている橋



















「あやとり橋」の上から見た川の様子


2020年7月16日木曜日

一乗谷朝倉氏遺跡(2)

一乗谷朝倉氏遺跡(1)の続きで、「復元された街並み」を歩いた。下図は復元された武家屋敷で、東西30m、南北30mの敷地がある。発掘により2か所に門、主屋、茶室、庭などが発見された。他に日常使われる蔵や井戸、便所なども復元された。この復元武家屋敷は、発掘遺構面に60cm土盛りし、当時の材料、工具、技術などを十分検討して建てられたという。



















堀に面して朝倉館跡正面に立つ「唐門」は、この遺跡のシンボル的な存在となっている。幅2.3mの唐破風造りの屋根で、戦国時代の朝倉氏の遺構ではなく、後に建てられていた松雲院の寺門として朝倉義景の菩提を弔うため造られたとされ、現存する門は江戸中期に再建されたものらしい。
























下図は5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500m程の敷地があり三方は土塁と濠で囲まれている。三方は土塁にはそれぞれ門を開き、西門を正門としている。また濠をへだてた南には、関連や屋敷の拡がりもあり、西方には馬場が存在していた記録されている。東の山裾は一部がこの館に取り込まれ、一段上がった平坦部には「湯殿跡」という庭園なども残っている。




















下図の朝倉館復元模型は、発掘による成果をもとに、現存する建物の様式や文献資料などを参考にして推定復元したものだという。10数棟の建物が整然と立ち並んでいる。これらの建物は、その柱間寸法や方位のずれから二期に分けて造営されたものとみられる。多くの建物は常御殿とみられる館内最大の建物を中心に、その南方の庭園を取り囲むように配された表向き(接客)施設群と、北方の台所などの内向きの日常生活群と土塁上の隅櫓などの警護施設群に大別できるという。



















一乗谷には、庭池を伴った林泉式庭園として湯殿跡、南陽寺跡、諏訪館庭園、館跡の4つの庭園がある。そのひとつ「諏訪館跡庭園」は、朝倉館跡を見下ろす高台にあり、まずは荒々しい石組がすごい。どの石も力強い表情を持ち迫力がある。鶴岩亀岩を思わせる中島や出島があり、水路が山際に沿って南から北に走り滝口にそそぐ池泉庭園のもっとも古いとされる庭園である。江戸時代の多くの大名庭園の先駆けともいえる。



















この一乗谷を見下ろす東の山稜には山城が築かれていた。大きな礎石がある「千畳敷」、土塁をめぐらした観音屋敷、赤渕神社、福井を一望できる宿直、小高い丘の本丸、一の丸、二の丸、三の丸などと呼ばれる郭群が、自然を巧みに利用して空堀、堀切、竪堀、伏兵穴が多数残っている。




















一乗谷朝倉氏は織田信長によって滅びたが、応仁の乱後に一乗谷には公家や文化人たちが戦禍を逃れて居を移していた。彼らに従って茶道、華道、、連歌、能楽などの音曲なども都から移り、彼らの高雅な生活を支えるため、技術者たちも集まった。今日越前地方の伝統工芸とされる、越前和紙も漆器も焼き物も、そして能楽の伝統も、すべて文化水準の高かった朝倉氏の時代に培われたものだった。その美意識は脈々と越前に伝えられている。
帰りに一乗谷朝倉氏遺跡資料館に寄って、展示物を見学した。
繋馬図屏風からは、区分けされた馬小屋に馬を繋いで、武士たちが余暇を見つけた遊びに興じていたことが見える。



















双六で使用したサイコロや将棋の駒などが出土している。



















一乗谷から発掘されたガラス片から復元されたコブレットで、日本最古のベネチアングラスとされる。三国港から九頭竜川、足羽川、一乗谷川と舟運がつながっていたので、外国のものも手に入ったのだろうという。





2020年5月21日木曜日

吉岡園地(白山市河内町)

今回は、ここのところ毎日来ている孫たちと、家ばかりいるのもつらいと思い、白山市河内町にある「吉岡園地」に「藤棚」が見ごろということで、行ってきた。(5月11日)車で約30分くらい走ったところでついた。
ここには、「オートキャンプ場」「バーベキュー場」もあり、子供たちの遊具も備えられているが、今は使えない状態である。
以前は確かここの下に降りた手取川近くにはキャンプ場があり、約30年くらい前に私の息子たちが小学生のころに来たことがあるところだ。「吉岡園地」は、そのころに比べてすっかり整備されて、きれいな景観や四季折々の花々が見れる憩いの場所になっている。



















「水生植物園ゾーン」には橋というか木で造られた長い遊歩道があり、途中には一服できる「四阿」もある気持ちの良い散歩コースである。手取川の向こうには鳥越方面の低い山並みが見える。



















山並みの少しへこんだところが一向一揆衆が最後まで抵抗したという「鳥越城跡」だ。その向こうには「二曲城跡」があるはずだ。



















「ロックガーンゾーン」では所々に草木が植えられ、石が備えられていてきれいな園地で広々していてすっきりした気分になる。木で作られた階段で高いところにも上ることができ見晴らしがよくなる。



















池の周りには、石で造られた遊び道があり、孫もポンポンと走り周り楽しそうだ。



















今は長い「スティホーム」なので広い芝生でのんびりも久しぶりだ。



















「オキナグサ」は、キンポウゲ科の多年草で赤紫色の花を咲かせる。漢字で翁草と書き、種から出る白くて長い綿毛が老人の髪に似ていることことからこの名がついているという。



















芯が黄色く花びらがピンクや白い花が、きれいに咲いていた。



















ここには「杜若」も咲いていた。そういえば、最近休園になっているので行っていない「兼六園」の曲水の「杜若」も今が見ごろだろう。



















吉岡園地の「藤棚」は有名で、細長い園内の国道157線側には長い藤棚が続いていて見応えがある。



















フジは近くの樹木に絡みついて成長するので、棚を作りフジのつるをはい上がらせ、たくさんの花房が垂れ下がるようにした棚である。他の花と違った独特の雰囲気がある。



















長い藤棚の下でポーズ



2018年1月31日水曜日

東北地方北部ドライブ(23)乳頭温泉の早朝散歩

東北地方北部ドライブ(22)の続きで、次の日(10月16日)の朝食前に宿泊所のウォーキングのイベントがあったので参加した。多くの宿泊者がいたが、参加したのは40代位の夫婦2組と私の5人だけだった。地元のガイドがブナ林を案内してくれた。



















樹齢何年か忘れたが、大きな樹木が紅葉していた。























この辺はブナの木のほかに、カエデやミズナラ、ダケカンバなど生い茂り、所々紅葉していて、美しい風景が眺められた。



















また、渓谷や湿原などいろいろな自然と巡り合える。時期によっては「ミズバショウ」や「モリアオガエル」なども見られるという。



















紅葉した木々の向こうに見える標高1,477.5mの乳頭山は、乳頭に似ているからその名前が付いている。



















辺り一面に、ススキが茂っていた。



















この池には、大きなイワナがたくさんいた。この「イワナの池」の前に「観賞用のイワナで釣ってはいけない」と看板が立っていた。


































山が見え、ブナ林があり、きれいな池があり、昼にはこういうところを散策し、夜はお風呂とおいしい食事をするという、ゆっくり滞在型のプランもあるが、一度はやってみたいものだ。


































乳頭スキー場跡が見えた。ガイドから「これはキツネの糞である」と教えてくれたが、「クマに注意」の看板があったり、他にリスなどいろいろな野生の動物が身近にいる所である。



















1時間くらいの散策だったが、風景がきれいな自然が満喫でき、気持ちの良い体験ができた。

2018年1月24日水曜日

東北地方北部ドライブ(22)角館② 田沢湖

東北地方北部ドライブ(21)角館①のつづきで、その後も武家屋敷の「青柳家」を見学した。庭の一角に「武器蔵」があった。



















 「武器蔵」の中に、青柳家ルーツを伝える武器や武具などが展示されていた。
鉄砲、刀、鎧兜など多くのものが飾られていた。
重そうな長い銃筒の火縄銃で、戦などに持ち運ぶ鉄砲隊もたいへんだなあと思う。





































青柳家が甲府のお武田家に仕えたいたころの物だという立派な鎧兜である。



















刀剣の鍔の装飾もすばらしい。材質は、鉄、金、銀、銅、真鍮やそれらの合金だという。




















薬や印、印肉などを入れ、腰に下げる「印籠」で、外観の模様がすばらしい
























「武家道具館」には当時の生活様式を伝える武家道具が展示されている、



















平賀源内、小野田直武など角館ゆかりの先人の先取的思想とハイカラ指向を受け継ぐアンティークミュージアムで、収集した昔のレコードなどが展示されていた。



















続いて、角館から田沢湖に行った。田沢湖は、日本一の深さを誇り、季節ごとの変化に富んだロケーションが広がる景勝地である。しかし着いたのは薄暗くなってからとなった。
田沢湖のシンボルの「たつこ像」は高村光太郎の門下生の彫刻家の船越保武が辰子姫伝説をもとに製作したという。




















 「浮木神社」は湖にせり出してたたずむ流木を祀った小さな社殿である。



















車を止めて、ちょっと湖を眺めているうちに、たちまち暗くなってきた。



















その後、今日泊まる「乳頭温泉休暇村」に入った時は、辺りは真っ暗だった。