ラベル その他 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル その他 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年6月9日水曜日

いのちの停車場(映画)

吉永小百合主演で金沢を舞台にした映画「 いのちの停車場」が封切となったので、ぜひ見たいと思って「御経塚シネマ」へ見に行った。(5月26日)

























この映画は地元では見たいと思っている人がいっぱいいると思い、封切となった5月21日(金)および土日は避けて月曜日に朝一番の30分前に行ったら、もう既に何百人と行列になったいたので、すぐにあきらめ2日後の26日(水)にまた朝一番30分前に行ったら、やはり行列だったが少し待って入ることができた。



















金沢が舞台もさることながら、正統派の新旧の人気美人女優の「吉永小百合」と「広瀬すず」が出演することもワクワク感があった。特に「吉永小百合」は同じ世代なのでよく知っている「あこがれの人」(サユリストではないが)で、金沢にはデビュー直後の15歳の時、赤木圭一郎の「不敵に笑う男」で来ていたのはよく覚えている。その後には渥美清「男はつらいよ」にも来ていたということを聞いていた。
















この映画の原作は「南杏子」で、医療をテーマにした作品が多い人で、在宅医療や老々介護、終末期医療の問題など、医療の現実に向き合う人間ドラマである。いずれ原作も読みたいと思っている。




















映画の内容は、長年東京の救命救急エンターで働いていた、救急医・咲和子(吉永小百合)がある事件の責任をとってセンターを退職し、父親が一人で暮らす金沢に帰郷するところから始まる。そして新しい職場の「まほろば診療所」で、患者から慕われる院長(西田敏行)と訪問看護師(広瀬すず)が、近隣の患者たち一人一人の希望を尊重しながら治療を行っていた。


















今までの医療現場と全く違い、「まほろば診療所」の在宅医として、再発したがん、末期がん、小児がんなどの患者に戸惑いながらも次第に患者だけでなく家族と向き合い、寄り添っていく。そして最期の時を迎えた人たちが安らぎの時間を持ち、家族や親しい人に別れを告げて旅経っていくことを体験する。

















咲和子の父が骨折をきっかけに誤嚥性肺炎や脳梗塞によって半身不随の病に冒され、「自分の命は自分で決めたい」と言い出し、最後は父の希望通りに「安楽死」を選ぶようになる。
この映画は、誰でも必ず来る命の終わり方について、すべての人の一緒に考えてもらいたいということである。私ら世代の大きなテーマでもある。
























映画の中では、主計町の「暗がり坂」横にある「バー・ステーション」は、「まほろば診療所」のスタッフの打ち合わせや一服する場所として提供している場所である。マスターは、世界中を旅し金沢にたどり着いた吟遊詩人という役は「みなみらんぼう」さんが演じていた。この人は、「酔いどれ女の流れ唄」の作詞・作曲や「やまぐちさんちのツトム君」などで知られた人だ。

















この映画では、よく見る金沢の素晴らしい景色がふんだんに出てきて、わが町の美しさが見れて楽しい映画だった。
「浅野川大橋」の夜景
















「千里浜」













その他、「にし茶屋街」、「金沢駅」、「梅の橋」などが出てきた。

「W坂」の上がったところに画家の住宅があるが、そのアトリエが病気の父の家の寝ている部屋としてロケの舞台になっていることが、後日、雑誌に載っていたのを見た。父が趣味として「筆画」をやっているということと眺望が良いということから選ばれたようだ。

































それで、そこへ見に行って住宅の隣の眺望地からは、片町側はよく見えるが、景色の良い犀川や戸室・医王山側は木が生い茂りよく見えない。映画の最後のシーンは部屋から見える景色だったが、光で真っ白になっていてよくわからなかった。
W坂上の緑地から見た片町側



















W坂下から見た犀川や戸室・医王山

2017年9月22日金曜日

京都鉄道博物館(1)

今回は、孫の夏休みも終わりに近いということで、「京都鉄道博物館」に行ってきた。当初、旅行代理店によるJRで行こうと思っていたが、いつ行こうか迷っていたので、予約を取らなかったので、車で行くことにした。(8月29日)
朝7時ごろ金沢を出発し、鉄道博物館のすぐ近くは混んでいると思い、少し離れた駐車場に止めたので、そこから歩いて着いたのは11時過ぎになった。ここは、2016年4月に開館したばかりで、今日は平日だが、まだ結構混んでいる。




















早速館内を回ると、明治期から活躍していた「タンク式蒸気機関車233号」が展示されていた。官設鉄道が初めて購入した国内民間会社製機関車である。明治期のレトロな雰囲気を醸し出している。




















新幹線の高速化に伴い開発された、最新の「500系新幹線」は「のぞみ」という愛称で親しまれているが、いかにも早そうな外観である。そばには、新幹線により廃止されたものや、今でも活躍している特急列車も並べられていた。




















私たちが中学生のころに習った産業革命時代に蒸気機関を発明した「ワット」の構造模型があった。大きなシリンダ、ピストン、クランク、はずみ車が見える。




















イギリスで走っていた「蒸気機関車」の誕生のころの模型 で、今のものとはずいぶん違う。




















日本に「蒸気機関車」を走らせるために関係した「ジョン万次郎」、「エドモンド・モレル」、「大隈重信」が紹介されていた。「ジョン万次郎」は、小さいころアメリカの漁船に助けられ、その後、日本開国のもととなったペリーの通訳も務めた。アメリカで、日本人初めての鉄道になった人として有名である。「エドモンド・モレル」は「お雇い外国人」として、鉄道建設の指導者としてに尽力した。「大隈重信」は、若い時に長崎で英語を習得し、明治新政府で鉄道建設に尽力した。



























1872(明治5)年に新橋・横浜間を国内で初めて走った時の鉄道開通式の様子を表したジオラマと、その時の機関車の模型




















戦後になって、国有鉄道が発足し、その後、東海道や九州にシンボルとなって走っていた特急列車「つばめ」 や乗務員の服や懐かしい備品が並べられていた。



















鉄道の連絡船として1908(明治41)年~1988(昭和63)年までの間、東北本線の青森駅と函館本線の函館駅まで結んでいた「青函連絡船」があったが、その様子がジオラマで見ることができた。



















レールに使われていたいろいろな材質の「枕木」やイギリス、アメリカで使われたレールが展示されていた。レールの断面形状や止め方もさまざまである。




















北陸新幹線のグランクラスのシートが並べられていて、シートに座ってリモコンにより背中や足のシートのもたれを好きなように傾けられ、座り心地が体験できる。

2017年9月14日木曜日

百万貫の岩 御前荘のコテージ


前回の白峰の「恐竜パーク」を見た後、手取川に沿って白山登山口の「市ノ瀬」方向に走ると、河原に大きな岩石が見えてくる。これが有名な「百万貫の岩」である。




















この岩は、1934(昭和9)年の手取の大洪水の時に流れてきたもので、高さが16m、周囲52mにもおよぶという。石ころだらけの河原を歩いて岩の近くまで行ったが、その大きさが実感できた。
最近の大水害で家などが流される映像をニュースなどでよく見るが、こんなに大きな岩を流す水に力はすごいと改めて思い知った。
往時の傷跡を残すものとして、石川県の天然記念物に指定されたいる。 あまりにも大きい岩なので、村の中には信仰の岩として崇めている人もいる。
そういえば、1年位前だったか(?)ロッククライミングの練習をやっている人たち思われるが、この岩に「ハーケン」と呼ばれるクサビが打ち込まれていたことを全国ニュースで放映されていたのを思い出す。これだけの大きさの岩だから、格好の練習場であろうが、天然記念物であるからマナーを守ってもらわなくては。




















道路から河原の手前側の水の流れはほとんどなかったが、「百万貫の岩」を超えて奥側に進むと、きれいな大量の水が流れていた。周りにはほかにも大きな岩がゴロゴロあった。やはり昭和9年の大洪水の時に流れてきたものであろうか?




















水を触ってみると、非常に冷たかった。




















重さが百万貫あるだろうと伝えられたことから「百万貫の岩」と呼ばれてきたが、平成7年に岩を計測した結果、重さ4839トン(129万貫)であることが分かり、文字通り「百万貫の岩」であることが証明されたという。




















後でテレビを見ていて知ったが、この「百万貫の岩」を見るための駐車場の前にあるトイレが、トイレの中に置いてある自転車をこいで水を出すようになっているらしい。



その後、少し戻って今日泊まる「御前荘」に入った。ここでの行動をカメラで撮るのを忘れてしまったので、写真での紹介はできない。
コテージは8人用と20人用があるが、今日は8人用は満杯に入っているが、20人用のコテージには誰もいなかった。
【貸切コテージ】白山天望の湯入浴券付♪素泊まり[コテージ]




「御前荘 コテージ」ホームページより














コテージの前に屋根付きの炉と洗い場、テーブル、いすなどが備えたバーベキュー専用の場所があり、既に他のお客さんたちが準備していた。
家族全員で準備し、戸外で炭で焼いた肉の味は格別で、ビールの量がいつもより進んでしまった。バーベキューの後に、花火をやったが孫たちも喜んでくれた。
コテージの近くにある天然温泉のお風呂に入ったが、お湯は少しとろりとしていて、体がつるつるした感じがした。二つの露天風呂も入った。昼間で天気がよければ、この風呂から白山の山々が見えるという。そういえば、15年位前に、会社の仲間に連れられて、福井県にある赤兎山に登った帰りにこの風呂に入ったことを思い出した。






「御前荘 コテージ」ホームページより












コテージの中も広く、快適に寝ることができた。たまにはこういうところで過ごすのも気分がよいものだ。

2017年9月10日日曜日

白峰 恐竜パーク、ダンボール遊園地

白山麓のコテージで泊まって、バーベキューをやりたいということで、白峰へ息子家族と一緒に行った。25~30年ほど前に息子たちが小学生のころに「緑の村」でキャンプをよくしたこと思い出した。
今回は、キャンプテントでは私たちが疲れると思い、白峰の「御前荘」のコテージを借りることにした。(8月15,16日)
コテージに入る前に、白峰にあるものを見たいということで、今回は孫中心ということで、まず「恐竜パーク」に行った。福井ある「恐竜館」は行ったことがあるらしいが、ここは初めてだという。




















薄暗い場所にいろいろな種類の恐竜が並べられ、動いたり、泣く声なども聞こえ結構リアルに見えた。また、 恐竜の骨格やタマゴなども置かれていた。内の孫も恐竜の名前を憶えていて、あれは「テラノザウルス」だとか何かと言っていた。




















北陸には、中生代のジュラ紀や白亜紀に堆積した地層があちこちに広がりいた。この地層を明治初期にライン博士とガイラー博士によって研究され、その地層を手取地層と名付けられた。手取層群は、その成り立ち順から九頭竜、石徹白、赤岩の3つに分けられ、海水、汽水(海水と淡水がまじっている)、淡水があり、それぞれ違った環境に堆積されている。手取層群からは、植物、貝、昆虫、魚、カメやワニ、恐竜、鳥などいろいろな生態の化石が残っているという。その中でも恐竜の化石は、当時の生態系の頂点にあり、中世を代表するものであるという。




















この「恐竜パーク」がある場所の手取川の向かい側に「桑島化石壁」が残っているが、その復元模型があった。この化石壁は手取層群の地層が表面にあらわれたもので、ジュラ紀、白亜紀がどのようであったか知ることができるという。化石層の中から植物化石や昆虫、貝、恐竜などの化石が含まれているという。


























建物の横にある公園にも恐竜の模型が多くあり、のんびり休みながら恐竜模型と一緒にシャッターを切る人もいる。




















化石発掘体験ということで、広場にばらまかれた化石層の石をハンマーでたたいて砕いて、中から化石を見つけるというもので、内の孫も一生懸命やっていた。石の中に黒い模様のあるものを見つけ、ここの係員から「植物の化石」だと言われ、喜んでいた。
係員の人が言っていたが、ここの化石は約1億2000~3000万年前であり、私の家の割と近くにある金沢の「大桑層」(おんまそう)は約6000~7000億年前だという。




















白峰に行く10日ほど前に「名鉄エムザ」の「ダンボール遊園地」で、恐竜をダンボールで作ったものなどで遊ぶという催しがあったので行った。
ダンボールを何枚か重ねて、いろいろな乗り物などが作ってあったが、子供たちが乗って、動かしても全く問題がなく強いものだなあと思った。




















一人の子が自転車のペダルを漕ぐと、もう一人の子がダンボールで作った馬に乗っていると、上下に動く ようになっていて、楽しく遊んでいた。




















恐竜の周りを走る「北陸新幹線」もあり、これもご機嫌で乗っていた。




















紙で乗り物や動物などを作る「工作コーナー」には、夏休みの宿題にするのか、親も一生懸命になって作っていた。

2017年7月9日日曜日

ビタルコーヒー(俵町)

今回は、医王山スキー場近くの俵町にある「ビタルコーヒー」という店に入った。医王山スポーツセンターを超えてすぐのところだ。「見上山荘」の看板が掛かっていて、学生時代に医王山にハイキングに何度か行ったが、ここが出発点であった。



















その看板の後ろには全面に葉で覆われた池があり、隅の方に赤い「スイレン」が咲いていて、周りは自然豊かなところである。



















その脇に大きなログハウスがあり、そこが「ビタルコーヒー」の店である。



















店内にはすでに何人かのお客さんが入っていたが、常連客のようだ。この立派なログハウスは後で聞いたらもう20年以上経っているという。

































ここでは、医学博士と工学博士が共同開発したという「遠赤外線焙煎コーヒー」や「水素焙煎コーヒー」が頂ける。
「ビタルコーヒー」の特徴は生豆の厳選や不良豆を徹底的に取り除き、戸室石使用の遠赤外線機を使って焙煎を行い、コーヒー豆に均一に熱が伝わり、豆の組織を壊すことなくやきあがり、特にコク、キレの良さが特徴という。
「水素焙煎コーヒー」は、水素でコーヒー豆の酸化を防ぎ、水素を入れることで豆本来の香味・風味 が出てくるという。



















コーヒー博士が開発した健康に良い、右が「テアニンコーヒー」、中央が「水素焙煎コーヒー」、左が煎餅の「プラ煎」で、生姜風味で「カルシウム」、「マグネシウム」を多く含んだ骨粗鬆症や便秘の予防になるという。



















この店にいたのは名物先生の「イグ・ノーベル賞」も受賞したというコーヒー博士の「廣瀬幸雄」金沢大学名誉教授で、この人と話することができた。
小さい時から、疑問を持ったことは解明したいという探求心があり、発明のヒントは、日々の生活の中で、それを見逃さないよう、気になったことはノートに書き留めているという。40歳から始め、ノートは今では年に120冊以上になるという。以前のヒントを読み返し新たなものができるというすごい先生だ。



















この人の研究で思い出されるのは、兼六園の「明治紀念之標」の「日本武尊」の銅像になぜカラスが止まらないのかを解明して、カラス撃退法を開発したことで「イグ・ノーベル賞」をもらったことである。銅像の下に「三すくみ」の「へび」、「がま」、「ナメクジ」とよく似た自然石があるが、「へび」が「ナメクジ」にやられるのが分からないということで、実験をし、「ナメクジ」が通った道に「へび」を通らせると、次の日に木の上で本当に死んだという面白い話がある。


店の後ろの敷地にいくつかの建物があったが、ここで「赤外線焙煎コーヒー」などをつくっているのであろうか?