2025年8月28日木曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(5)善光寺①

 志賀高原・草津温泉・善光寺(4)草津温泉 西の河原公園の続きで、その後、朝食をとった後、草津温泉から長野市にある「善光寺」に向かった。途中にラグビー合宿のメッカの菅平を通り、約1.5時間くらいで「善光寺」に着いた。

「善光寺」に来たのは何年ぶりだろうか忘れてしまった。そろそろ昼飯の時間になったので「信州そば」を食べたいということで、どこがよいか思っていたとこと、車を止めた駐車場の管理人が、この店がよいということを教えてくれたので、早速行くことにした。

仲見世の方は人がいっぱいだったが、教えてもらったところは仲見世の裏通りで、人が混んでいないので並ばなくてもよく、おいしくそばを食べられた。やはり「信州そば」の味は格別である。












「善光寺」の案内図を見ると、本堂や山門の前に「仲見世」やその裏に善光寺ゆかりの寺などが多くあった。























「仲見世」には、多くの立派な店が並んでいて、お土産や食事処などが並んでいる。


















珍しい「七味唐辛子」専門の店があった。


















こちらのレトロな建物は昔からある旅館であった。どちらの店も中にはレストランが併用され昼時は混んでいるようだ。
























「仲見世」の前には立派な「仁王門」がある。駐車場の関係から本堂側から入ったが、こちたが善光寺の入口となる。通りの裏には宿坊がたくさん並んでいる。


















現在の「仁王門」は大正時代に創建された。間口23m、奥行き7m、高さ14mで、屋根は銅瓦葺である。仁王像および背面の大黒天像は、近代彫刻家の巨匠の高村光雲と米原雲梅の合作だという。
































6うの迷いの世界から人々を救うという大きな「六地蔵」が置かれていた。仏教の六道(地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人間・天)を6体の地蔵菩薩が担当し、衆生の苦しみを救ってくれる尊い存在だという。


子供を守る仏としてみ信仰される「ぬれ寺蔵(延命地蔵)」は、1722(享保7)年に造立された。江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を鎮めるため、恋人の吉三郎が建てたという言い伝えがある。
























「仲見世通りを過ぎると、おおきなたえものの「山門」がある。1750(寛延3)年に建立され、2007(平成17)年に完了した修復工事により創建当時のくぬぎ葺屋根に復元された。


















山門の中には獅子に乗る文殊菩薩像を囲むように持国天・増長天・広目天・多聞天が邪気を踏みつけながら立ちはだかり四方を守護している。(カメラ禁止)


















楼上からは眺望が楽しめ、参道側には長野市街と本堂側両方の絶景が見れる。















2025年8月23日土曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(4)草津温泉 西の河原公園

 志賀高原・草津温泉・善光寺(3)光泉寺 旅館の続きで、次の朝、午前6時ごろに散歩に出かけた。前回、草津温泉に来た時は風が強くて途中で断念した「西の河原公園」に再度行った。



















公園に入る手前に「片岡鶴太郎 美術館」の建物があった。鶴太郎と言えばお笑いタレントとして以前はよく知られているが、画家としても才能があり、「ヨガ」に没頭していたことも有名でテレビにもよく出ていたが、最近はどうしているのだろうか?この美術館は鶴太郎の絵画か書が展示されているが、才能のある人はいろいろとできる。


















「西の河原公園」遊歩道が整備され、格好の散策場所になっており、温泉が至る所から湧き出ていて、異様な雰囲気を醸し出している。


















所々に硫気に化成された様々な形状の奇岩が乱立しおり、温泉を淀ませて湯の花を採取する小池が作られている。




















途中には多くの地蔵さんが置かれていたが、その中に「ぴんころ地蔵」という面白い地蔵さんがあり、あやかりたいと思い、丁寧にお参りしてきた。


















ベルツ博士の胸像と記念碑があった。ベルツ博士はドイツの医学者で、東京帝国大学の教授として日本に30年間滞在した。明治11年に草津温泉を訪れてから、温泉の効能と環境に魅せられ、草津を愛し、特に高温入浴法の「時間湯」は博士の温泉研究の貴重なテーマとなった。

























































木橋の向こうに積まれた石に囲まれた「不動明王像」があり、その背後には「不動滝」が見えた。


















「いづこにも湯が噴きいでて流れゐる谷間を行けば身はあたたかし」と刻まれた「斎藤茂吉」歌碑があった。
























上の方から湯の滝として流れるのが見え、滝の下の地面は緑色と両側は茶色になっていた。ここからまた下ったが、さらに奥に行くと巨大な露天風呂があるという。





































公園の途中に赤い鳥居が並ぶ「草津穴守稲荷神社」があった。
























階段を上ると小さな祠があり、赤い舞掛けをした「狛狐」が鎮座していた。この赤は鳥居とともに魔除けの意味があるという。稲荷社はもともと穀物の神様であるが、商売繁盛の神様でもある。本社は東京大田区の「羽田穴守稲荷神社」で、1907年頃、東京の山崎染物店の主人が草津の湯治に通い、病気の平癒の記念に常々信仰していた穴守稲荷をこの場所に分霊し勧請した。


















昔は西の河原公園は訪れる人も稀であったという。河原一体から温泉が湧き出しており、「鬼の茶釜」は代表的な温泉湧き口であった。湧き口は茶釜が沸騰するように異様な音を立てて湯を吹き出し、湧口に人が近づくと、足元から音がぴたりと止まる。離れるとまた音が鳴りだす不思議な湯口として怖がれた、誰ということなく「鬼の茶釜」の名が付けられた。
























こちら岩石、温泉の流れがあったところで、湯の成分によって藻のように緑色に変色している。



















2025年8月18日月曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(3)草津温泉 光泉寺 老舗旅館

 草津温泉(2)草津温泉 湯畑①の続きでさらに草津温泉を歩く。

「湯畑」のすぐ近くに百段以上の階段を上ると「草津山 光泉寺」がある。境内からは湯畑全体を見下ろすことができる。



















この光専寺は721(養老5)年に「行基」により開山されたと伝えられてれいて、草津温泉のシンボルとなっている。拝殿前には、「真言宗」の開祖の「弘法大師」の像が置かれていた。
























行基菩薩がこの地に光る水が万病に効く温泉であることを喜び薬師如来をまつりった光専寺を開いたが、それにちなみこの池を「慈悲の泉」と名付けられ、「湯のみ弁財天」を祀った。


















この灯篭は以前に何かによって倒れたのか、片側の部分の笠などが欠けてなくなっていた。請台には何が彫刻されているのか分からなかった。
























長い草津温泉の歴史から多くの偉人たちが訪れているので、記念碑や灯篭などが多く建っている。小林一茶の句碑もある。


















茅葺の面白い屋根があるところは「遅咲き如来釈迦堂」で、1706(元禄16)年に建立されたいう。
























境内の右側には朱色の立派な五重塔が建っていた。1300年記念碑と石柱に描かれていた。
























囲いがある中には、所々から源泉が湧き出ているのが見える。
























本日宿泊する「望雲」への近道である坂道を上がる。


















「望雲」は、小林一茶や十辺舎一九など江戸時代の著名な文化人も訪れたという老舗旅館である。
いくつものお風呂があり、かけ流しの温泉にゆっくり入った後、体はすべすべという感じになった。






「るるるぶ草津温泉22」より
















その後、お待ちかねの夕食を頂いた。写真は食前酒、前菜、御造り


















館内の様子

















2025年8月13日水曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(2)草津温泉 湯畑

 志賀高原・草津温泉・善光寺(1)志賀高原の続きで、志賀高原を下りて全国でも最も有名な温泉地の一つの「草津温泉」に着いた。そして予約したあった旅館に行き荷物を置いて、前から見たかった「湯畑」に向かった。10数年前にここに来たときは雨や雪が降り続き、非常に風が強かったので、ゆっくり見ることができなかった。

今回は、少し暑いが落ち着いてみたいと思った。おいしそうなものを売っている「西の川原通り」を通り「湯畑」に行った。

























「湯畑」広場の入口には、昔懐かしい「郵便ポスト」が赤、薄青、黒色と三色のものが並んでいた。






















湯畑は草津温泉の6大源泉を代表する源泉で、毎分約4000lの温泉が自然に湧き出し、湯けむりがあちこちで漂っている。
「湯滝の灯篭」(文政13年)に建てられたものだという。


















江戸時代の「上州草津温泉大図」で、この頃は既に多くの人で賑わっていたのが見える。図の赤丸印が「湯旗」。源泉を作り出す遠くの火山なども描かれている。






















湯畑の周りには多くの宿泊者が、散歩がてら見物に来ていた。近くには「足湯」などの休憩所もある。


















そこには溶岩や地面は湯に含まれている成分からかところどころ緑っぽい色になっている。


















湯滝は湧き出た湯が木樋を通って滝つぼへと流れ落ちる。滝つぼの湯はエメラルドグリーンに輝き、夜はライトアップされさらに幻想的な風景になる。この滝辺りが一番の見どころである。





































7つある木製の樋は、湯の花を採取するためのものである。湯の花は土産物店などで販売されている。


















湯畑で採取された湯の花を使った入浴剤は、なかなか買うのが難しく限定品として売られている。



















昔ながらの温泉饅頭は今でも人気があり、ここへ来たら必ず食べる。
























湯畑の前にある灰色の大正ロマンの香りがする建物は「熱の湯」で、その中で草津伝統の「湯もみと踊り」のショーを開催しているので、いつでも見ることができるという。「湯もみ」とは、源泉の温度を下げるために、大きな板で湯をかき混ぜることをいう。また、有名な「草津よいよこ・・・」ではじまる湯もの歌「草津節」の踊りも鑑賞できる。私としてはよく知っているドリフターズの「ババババンバンいい湯だな・・・ここは上州草津の湯」を思い出す。


















その左側には「立派な木造の建物は「白旗の湯」そして左奥にとんとき屋根の「御座の湯」がある。



















これは徳川8代将軍吉宗に献上した「将軍御汲上の湯枠」




















湯畑を囲む石柵には、草津を訪れた名を刻んだ「草津に歩みし百人」の碑が並んでいる。古い時代は「日本武尊」、「木曽義仲」、「源頼朝」などがあるが、戦国時代の「豊臣秀吉」、「徳川家康」とともに我が加賀藩の藩祖「前田利家」も刻まれていた。この偉人たちの中で一番新しい人は「石原裕次郎」だという。