今回は、石引にある「 石川県立能楽堂舞台」が見学できるということで見てきた。
加賀藩の前田家は、藩主を初めとして能に力を入れていたので、江戸時代には金沢城の二の丸御殿や今の兼六園に「竹沢御殿」があった頃に「能舞台」があったように、幕末まで能楽者を手厚く保護した。5代綱紀は,能楽者を宝生流への改流を命じ、一方で領内の士庶にも奨励したため、今でも金沢では能楽が盛んであり、「加賀宝生」と言われている。
明治時代には、金沢の能楽は一時衰退したが、加賀宝生「中興の祖」といわれる初代佐野吉之助が再興に尽力し、1931(昭和6)年二代佐野吉之助が「金澤能楽堂」内部に能舞台を建築した。そして1971(昭和46)年に、現在の「石川県立能楽堂」の内部に移築された。
「能舞台」は、江戸時代までは屋外に建築されたため、雨から本舞台を守るため屋根が付ていた。明治時代以降は、能舞台を風雨から守るため屋内に納めるようになった。ここ「石川県立能楽堂」の建物の内部にあるが、館内にあっても同じように舞台の上には屋根がある。入母屋造りで、正面の破風には懸魚という装飾が付いている。
舞台の上の梁には「蟇股」の装飾部材が付いている。舞台の奥に描かれている「老松」は「鏡板」と言われ、奈良県の春日大社にある「影向の松」の前で演じられた名残として描かれるようになったという。
ここの「老松」の作者は、金沢出身の日本画家・玉井敬泉であり、竹沢御殿にあった舞台の鏡板の原図(所在不明)を元にして描いたとされている。
舞台の前には2段の階段が付いているが、藩政期に寺社奉行が使い、開演の宣言をしていた名残で、現在は使われていない。