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2018年1月10日水曜日

出初式 加賀鳶 2017(2)

出初式 2017(1)の続きで、その後、約50本の梯子が並べられ、昔からちょっと面白い支え方と思っていたが、団員が4人づつの長蔦口と短蔦口と呼ばれる道具で、そして1人の人が両手で梯子を押さえた後、演技をする人が梯子の上に登って準備態勢に入った。



















テレビ局や新聞社の報道陣たちが演技の前の方に陣取ってきた。



















 演技が始まり、下の写真は大技のひとつである梯子の上方の先端2本だけで体を支え、バランスと平衡感覚をとる技の「二本大の字」である。一点だけで体を支える「一本大の字」も見られた。そして手を広げ、技が決まるたびに掛け声がかかり、纏が振られる。



















さらに思い思いの演技を見せ、それぞれの梯子で、いろいろな態勢の姿が見られた。



















「梯子登り」の演技と背後の金沢城の「菱櫓」の風景は 、いかにも金沢らしい光景である。




















 そして、名前をよく知っている源義経の「八艘飛び」で片手と片膝で体を支え、手を広げて遠くへ飛び越える姿勢である。

























 そして腕だけの力で体を逆さに引き上げて、足を広げる力技の「腕どめ」である。























足のつま先をひっかけるだけで全身を逆さにぶら下がる「つま留め」
























上下の梯子に対して水平の体勢になる大技も見せてくれた。























次から次へとすごい技が見れる度に、見物客から気勢や拍手が沸き起こっていた。



















続いて、「フンドシ」姿の団員がホースと纏を持って出てきた。



















そして、すぐに水が出ないホースもあったが、間もなく約50本のホースから一斉に放水され、消防自動車のサイレンが鳴り響いた。これだけの並んだ放水の風景は素晴らしいもので「金沢城の菱櫓」を背景に見ごたえがあった。



















今日は風もなく、まっすぐ上がっているので、見物客に降りかかることはなかっただろう。







そのうち「飛沫」が激しくなり、向こう側が見にくくなってきた。



















団員の纏を振る姿も激しくなり、体もずぶぬれ状態だが、寒いだろうなあと思う。
























数分間続いたであろうか、一斉放水が終わり無事終わりとなったが、周囲は水浸しとなった。



















終わって見物客を見るとすごい人が見に来ていたのに気づいた。過去最多の約7,000人の人で、去年より2,500人多いという。地元客に混じって観光客も多かっただろうが、「加賀鳶」発祥300年を迎えた金沢の伝統の妙味に酔いしれただろう。

2018年1月9日火曜日

出初式 加賀鳶 2017(1)

長年金沢に住んでいるが、今までなかなかチャンスがなく、今回初めて「出初式」を見ることができた。「出初式」では、呼び物の加賀鳶の「梯子登り」や「一斉放水」を見れると思い、わくわくして行った。



















「出初式」は、1月の第1週の日曜日に開かれているが、今年は1月7日に金沢城の新丸広場で行われた。昔は犀川河川敷で行われていたが、2003年より金沢城公園に移った。そういえば、昔、東京にいる頃に、この時期に全国ニュースで、犀川河川敷での「出初式」の様子を放映していて、金沢を誇りにしていたのを思い出す。
午前10時から開かれるが、30分前に会場に着いた。
お堀通りから会場を見ると、既に多くの消防自動車や消防隊が待機していた。


































「出初式」は、今から350年前にの1659(万治2)年に4代将軍「徳川家綱」が、幕府の定火消に火消しを高めるため、上野東照宮前で行ったことが始まりといわれている。また、「加賀鳶」は金沢の義勇消防のことで、江戸時代は加賀前田藩が江戸藩邸で抱えていた大名火消で、中でも特異な装束と威勢のよさ、見事な火消し活動で名高い存在だったという。1718(享保3)年に8代将軍徳川吉宗が江戸藩邸の火消しの強化を命じ、加賀藩5代綱紀が上屋敷の自衛消防隊を強化したのが始まりで、今年でちょうど300年の節目になるという。



















「加賀鳶発祥から300年」の看板が掲げられていた。「梯子登り」は、江戸時代に火消が火災現場で高い梯子を立て、火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことがきっかけで、さらには高所での作業を行うための訓練や度胸勇気を付けるために行われたといわれている。



















ようやく式典が始まり、約50分団、消防団員約1170人が勢ぞろいした。



















約50分団の消防隊は、金沢市内の旧小学校の学区である「校下」で分かれていると思っているが(?)。また、「出初式」を盛り上げる「纏」は、梅鉢をかたどった金箔を施された豪華なもので、これを作っていた人が高齢で、ひとりだけになっていたが、後を継ぐ人ができたというニュースが、最近あったと記憶している。




















 式典では、金沢市長の山野さんが前の出ていて、団長らしき人から報告を受けていた。



















また石川県知事の谷本さんが壇上に立って、記念の表彰状などを渡していた。二人の簡単な挨拶もあった。



















30分くらい式典があり、ようやくお待ちかねの「梯子登り」が始まるので、梯子がずらりと並べられた。「梯子登り」と「一斉放水」の演技については、次のブログで紹介します。













2017年9月6日水曜日

近江町市場 底引き解禁

今回は、昨日底引き解禁され、今日、石川県近海から水揚げされた初物が出てくるということで近江町市場へ見に行った。今年はしけで出漁が2日遅れとなり、ようやく今日店頭に並んだ。さすがにお客さんもいつもより多いようで、初物の魚を品さだめしていた。




















底引き解禁の時のお目当てと言えばやはり「甘えび」であろう。大きな子を持った、ぷりぷりの「甘えび」がたくさん並んでいた。
金沢の魚貝類の王様と言えば、「甘えび」、「カニ」、「寒ブリ」だが、今の時期は、そのうちの「甘えび」に限る。




















他にも、やはり近海で獲れたおいしそうな「ハタハタ」、「アカラ八目」




















「メギス」、「クチボソガレイ」もたくさん並んでいた。




















「小鯛」、「ササガレイ」も石川産が並んでいる。ちなみに同じ魚でも石川県の漁船が獲ったものは石川産、福井県の漁船が獲ったものは福井産になるという。




















「アンコウ」も並んでいたが、この薄気味な姿の魚は家で食べたことはない。昔、居酒屋で「アンコウ鍋」として食べたことはあるが。


























八百屋の前には、所狭しと多くの種類の野菜が並べられていた。「加賀野菜」に認定されている「打木赤皮甘栗かぼちゃ」、「五郎島金時」、「加賀れんこん」なども見える。




















果物屋では、梨、桃、ぶどう、メロン、みかんなどが並べられていた。
特に梨は、石川県産の新品種梨の「加賀しずく」が、特産品に認定され、先日「初セリ」が行われ、1パック(4個入り)が15万円のプレミアム価格がついて話題になった。大玉で糖度が高いものが「加賀しずく」として認定されるという。一度食べてみたいものだ。




















近江町市場の中にある老舗の花屋さん




















その場で食べさせてくれる観光客に人気の「岩ガキ」




















今回は、「甘えび」と「メギス」を買って、甘えびは刺身で、メギスは塩ゆでしたものを家で食べたが、新鮮な青い子持ちの大ぶりな甘えびとメギスは非常においしく、ビールもいつもより進んでしまった。近くのマーケットで買うより、新鮮でおいしい魚が食べられる。たまには近江町市場まで買いに行かなくては。

2017年1月18日水曜日

神明宮 左義長 犀川大橋付近の雪景色

今回は、正月飾りなどを燃やす左義長ということで、野町にある「神明宮」に行ってきた。
(1月15日)




















ここ「神明宮」は、藩政期には毎年正月に金沢城内の諸門や藩主の殿中、居間に掛けた注連縄(しめなわ)を小正月の1月15日に、社寺奉行立ち合いのもと、神前で祓い、”神明の大ケヤキ”の下で燃やす慣例で、「金沢の左義長の元祖」といわれている。








































今日は、左義長の3日目(13,14,15日)であり、午前9時から始まったが、私はその午前9時ごろに行ったので、まだ燃やすものが少なく、火は小さかった。




















この神社で何んといっても有名なのが御神木で「パワースポット」となっている「神明の大ケヤキ」は、樹齢1000年を超えるといわれる県下最大の大ケヤキで樹高33m、幹周り7,83m、枝幅25mである。
古来より、巨樹には、エネルギーを発する力があるとされ、枝々が大きく広がる懐でその爽やかな息吹きを感じれば、その人にはご利益があるといわれている。この木の前で、手で体に当たるよう仰いで「気」をもらっている人も見かける。


























大ケヤキの前に「願掛けねがい石」というものが置かれていた。


























寒波襲来で新潟地方は大雪というニュースを聞き、今日は久しぶりに金沢に雪が積もったが、わずか7cmだった。
神明宮近くの犀川大橋付近の雪景色を紹介する。




















大橋付近から上流の桜橋方向を見る。本来なら、医王山や戸室山などの峰々が見えるはずだが、どんよりした空で全く見えない。




















「寺町」へ上がる「蛤坂」で、昭和の初めまでは、ここに大きな火の見櫓があった。




















金沢にいくつかある「芭蕉の句碑」で、「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」と描かれている。この句碑を建てたのが「小松砂丘」で、松原健之の歌「金沢望郷歌」に出てくる香林坊の句碑など、この人の建てた句碑が30余りあるらしい。

2017年1月14日土曜日

斎地神社 元旦祭 金沢国際ホテル 成人式

私が今期の町内会で公民館委員と神社氏子総代をやっているので、その神社氏子総代の活動として斎地神社の新年を祝う元旦祭の準備とその儀式に参加したので、儀式前の神社の様子を紹介する。(1月1日)
参道の階段を上がった所から神社拝殿を見る。両側の灯篭に明かりが灯っている。




















前日の午前中に私も参加して、この参道に散らばっていた枯葉などを清掃したので、大変きれいになっている。




















手を洗って心を清める「手水鉢」




















拝殿横に奉納された立派な馬の像がある。





















神社に悪い霊が入ってこないよう守っているという「狛犬」の胸にもしめ縄が掛けられていた。この狛犬は珍しくレンガ造りの台座の上に載っている。




















元旦祭の儀式前の本殿。各町内会や氏子などから献上されたお酒などが並べられている。




















拝殿の中で儀式を待つ各町会の神社氏子総代ら。
その後、地域の有力者や町会長などが参列して、宮司の「祝詞」(のりと)から始まって、参列者一人一人が本殿の神様の前のテーブルに玉串を捧げて元旦祭を祝った。




















続いて、1月8日(日)「金沢国際ホテル」で、私の校下(小学校の学区)の成人式があり、公民館委員としてそのお手伝いに駆り出され参加したので、成人式の様子を紹介する。




















受付前に、色とりどりの振り袖姿の女性成人者がいっぱいになり、華やいだ雰囲気は見事なものである。
私は、成人式を見るのは、自分の成人式以来であるからもう半世紀前になっていて、どうであったかすっかり忘れてしまっている。自分の子供たちの成人式にも行っていない




















式典で市長代理の方のあいさつ。




















記念写真撮影の風景。約100人くらいであろうか、女性はほとんどが振り袖、男性は袴の人が7,8人くらいで、他はスーツ姿である。




















パーティーが始まり、最近は、誰もがカメラを持っているので、自撮りをしたり、久しぶりの仲間と振り袖姿を撮っていた。




















小学校、中学校時代の仲間に久ぶりに会い、また、中学時代の恩師も来ていたようで、話に花が咲いたことだろう。恩師との記念写真も撮っていた。
何年か前の成人式のニュースで、よく飲んで暴れる者がいたのを見たが、最近では少なくなっているようで、ここも平穏無事の終わった。父兄の方も多く来られていて、和やかな雰囲気でよかった。




















そういえば、この「金沢国際ホテル」は高台にあり、眺望がよい。パーティーの終わるのを待っている間、ホテルの窓から日本海方面を見ると、大きな建物が見えた。お手伝いの仲間が「あれは、キリンビール工場の跡地の場所だ」と言っていた。とすると現在建設中の「ジャパンディスプレイ」の工場だ。この2日後に新聞にちょうど、この建物のことが載っていた。北陸では有史以来の最大の建物だという。幅295m、奥行107m、高さもビルの15階分ほどの55mを誇るという。この工場はスマートフォン向けの液晶パネルであるから小さなものだが、この大きさはいったい何だろう。工場内部については一切企業秘密だそうだ。












「北國新聞」より