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2020年5月21日木曜日

吉岡園地(白山市河内町)

今回は、ここのところ毎日来ている孫たちと、家ばかりいるのもつらいと思い、白山市河内町にある「吉岡園地」に「藤棚」が見ごろということで、行ってきた。(5月11日)車で約30分くらい走ったところでついた。
ここには、「オートキャンプ場」「バーベキュー場」もあり、子供たちの遊具も備えられているが、今は使えない状態である。
以前は確かここの下に降りた手取川近くにはキャンプ場があり、約30年くらい前に私の息子たちが小学生のころに来たことがあるところだ。「吉岡園地」は、そのころに比べてすっかり整備されて、きれいな景観や四季折々の花々が見れる憩いの場所になっている。



















「水生植物園ゾーン」には橋というか木で造られた長い遊歩道があり、途中には一服できる「四阿」もある気持ちの良い散歩コースである。手取川の向こうには鳥越方面の低い山並みが見える。



















山並みの少しへこんだところが一向一揆衆が最後まで抵抗したという「鳥越城跡」だ。その向こうには「二曲城跡」があるはずだ。



















「ロックガーンゾーン」では所々に草木が植えられ、石が備えられていてきれいな園地で広々していてすっきりした気分になる。木で作られた階段で高いところにも上ることができ見晴らしがよくなる。



















池の周りには、石で造られた遊び道があり、孫もポンポンと走り周り楽しそうだ。



















今は長い「スティホーム」なので広い芝生でのんびりも久しぶりだ。



















「オキナグサ」は、キンポウゲ科の多年草で赤紫色の花を咲かせる。漢字で翁草と書き、種から出る白くて長い綿毛が老人の髪に似ていることことからこの名がついているという。



















芯が黄色く花びらがピンクや白い花が、きれいに咲いていた。



















ここには「杜若」も咲いていた。そういえば、最近休園になっているので行っていない「兼六園」の曲水の「杜若」も今が見ごろだろう。



















吉岡園地の「藤棚」は有名で、細長い園内の国道157線側には長い藤棚が続いていて見応えがある。



















フジは近くの樹木に絡みついて成長するので、棚を作りフジのつるをはい上がらせ、たくさんの花房が垂れ下がるようにした棚である。他の花と違った独特の雰囲気がある。



















長い藤棚の下でポーズ



2019年2月2日土曜日

三社 長土塀界隈(2)神保緑地 珉徳寺

三社 長土塀界隈(1)「豊田白山神社 三社どんど」の続きで、「昭和通り」に出ると「金沢中央郵便局」の大きな建物がある。以前は博労町にあった「金沢中央郵便局」を1973(昭和48年)に新たに建てられ移った。以前の建物には家から近かったせいもあり、学生時代にアルバイトもしたことがあるので何度も入ったことがあるが、ここは一度も入ったことがない。



















建物の前にある巨大なポストは、金沢市と姉妹都市ベルギーゲント市の郵便局との友好姉妹都市記念のオブジェだとか。
























その隣の大きな建物は「金沢市女性センター」で、一度は建物がリニュアルしていると思うが以前は「婦人会館」という名称でそちらのほうがなじみがある。いろいろな会合や講座などに利用されている。




















「金沢市女性センター」前の交差点は「三社交差点」で、尾崎神社からここまでの通りと「昭和通」が交差するところで、いつも交通量が多いところだ。斜め向かいのお寺はこのブログでも紹介した「超雲寺」である。この「昭和通」は名前が示すように戦前の昭和16年に金沢駅から元車交差点までできた通りである。この通りができたことにより、この辺りに「長土塀」の名前通り多くあった武家屋敷の土塀がなくなっていったという。



















交差点より右に曲がったまっすぐ行くと「蔦町」の標柱があった。「加賀藩士禄高七千六百五十石の青山氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「丸の内蔦」にちなみ、明治の初めこの名がついた。」とあった。
























「JR北陸線」が走っている高架付近の道路に沿ってある公園は「三社神保緑地」という。この地はかって石炭販売業神保商店があったが、創業者八十吉の33回忌にあたり遺族から金沢市に土地を寄贈されたという。



















遺族の神保敏子氏の意を汲んで「室生犀星」の詩「ふるさと」の碑が昭和57年に建立された。この詩碑は神保商店の門柱だった御影石を両脇に配置している。「雪あたたかくとけにけり・・・・」は「木の芽」早春の詩集である。



















緑地内に立派な古めかしい石碑が建っていたが、黒本稼堂の「新道開削紀功之碑」で昭和8年に建立されたものだ。黒本稼堂は長町に住んでいた漢学者で、五校の教授をしていた時に夏目漱石と交流があったという。金沢神社境内にある「北条時政顕徳碑」、卯辰山にある「箔業祖記功碑」に碑文と書は稼堂だという。
























「旧三社五十人町」には社僧道珍が開いた真宗大谷派の寺院「珉徳寺」がある。



















ここの本堂は開かれていたが、ひっそりしていた。本堂前の扉には「違い・・・葉」?の紋が刻まれていた。檀家である水巻栄蔵家の墓があり、その横に戸室石で作られた地蔵尊が安置されている。

2017年5月6日土曜日

金沢城 鶴の丸休憩館

今回は、金沢城公園の中にある「鶴の丸休憩館」が最近リフォームされたということで見に行った。(4月23日)




















ここは、金沢城の歴史や見どころを紹介するとともに、新たに飲食できるコーナーが加わった。従来は写真や説明版が掲げられていたが、今回は大きなディスプレーで、椅子にゆっくり座って城と庭の四季などを見ることができる。




















また、金沢城の歴史絵巻がビジュアルに展示され、金沢城の変遷が見ることができる。自分の知りたい情報をを選んで見ることができるタッチパネルもいくつか備えられていた。最近はタッチパネルで多くの情報を知ることができるように文化施設の説明が変わってきている。金沢城についてのクイズなどもあり、子供たちも楽しめるようになっている。




















最近、金沢城の二の丸絵図についての本が金沢城調査研究所から刊行されたが、その二の丸に関しての絵図なども紹介されていた。いよいよ二の丸御殿再現が本格化してきたのか、たいへん待ち遠しい。


























椅子が置かれた「休憩スペース」からは、大きなガラス越しに「橋爪門続き櫓」や「鉄砲狭間」などが見える。




















「豆皿茶屋」という喫茶スペースが新しくでき、石川名産の「和菓子」「洋菓子」「お寿司」、「お茶」などが頂ける。




















早速、窓側の席に座ると「菱櫓」、「五十間長屋」などの壮大な建物が見え、素晴らしい眺めである。




















ここで「コーヒー」を頼んだら、山中漆器のお盆に載った小さなお菓子とコーヒーが九谷焼の器に入って出てきた。ここでのんびりするのもよい。




















まだ木のにおいが残る地元の「能登ヒバ」を使った天井など木材建築もすばらしい。




















この休憩館の前には、以前は他の場所にあった三種類の石垣の積み方のサンプルと鉛瓦やナマコ塀、鶴丸土塀などの内部の作り方が分かるサンプルが展示されていた。

2017年5月2日火曜日

弥生界隈(2)泉小中学校 弥生さくら公園

弥生界隈(1)の続きで、さらにその建物の裏に周ると、対照的に建ったばかりの新しい「泉中学校」と「泉小学校」の建物があった。「泉小学校」は「野町小学校」と「弥生小学校」が合併してできたところだ。黄色い帽子をかぶったかわいい1年生が元気よく「こんにちわ」と言ってくれた。

従来の「泉中学校」の校舎をこれから壊してグランドにするそうで、現在はグランドがない。そういえば、私の中学生のころに、この弥生小学校と泉中学校が火事で燃えてしまったことを思い出す。あれからもう55年以上になる。

戦前は、この広大な敷地には「石川師範学校」とその付属小学校があり、その「守衛舎」だった建物が新しく白く塗られ「ふれあいの家」として残っていた。それより以前の幕末には「調練所」だったという。そのころには、鉄砲、弓や刀だけでなく洋式訓練もやっていていて、羽織姿の青年兵士たちが金沢城から、太鼓や笛を鳴らしてここまで行進してきて練習したという。



















1907(明治40)年に小学校令の改正に伴い正教員の養成が急務となり、今までの師範学校一校ではその要請にこたえることができなくなったことから、同一校舎での男子、女子を廃止し、1908(明治41)年に男子師範学校をここに建設したものである。
昭和24年に同校が金沢大学教育学部になることになり、ここは、泉中学校、弥生小学校として使用されたという。



















さらに歩いていくと「弥生さくら公園」がある。ちょど桜が見ごろできれいに咲いていた。ここには、明治19年に測候所と営林署ができて、昭和32年に地方気象台に昇格し、1991(平成3)年まで置かれていた。そして「桜の開花宣言」が出される標本木がここにあった。今は気象台が金沢市西念の方に移っている。


この日は、その標本木の桜はすでに散っていたが、遅咲きの濃いピンクの八重桜が見事に咲いていた。




















この「弥生さくら公園」の前は、今は「南大通り」という名称の大通りであるが、1938(昭和8)年にできた道路で、中心街から南のはずれにあるから「南端国道」と言われた。そのころに満州事変が起きたために突貫工事で完成させたという。 




















その通りのわきに「旧芦中町」の標柱があった。「藩政時代から町名「足半町といへは並びみじかく、尻切れたる町」と伝えられ、はじめは足中町とも書く。のちに芦中町と書いた」とあった。また、この近くに「旧桃畠町」があり、「泉野村の地で藩政期に桃の木が多く植えられたので桃畠と呼ばれたという。また、古くからこの地に桃畠があったからともいわれる。のち、民家が建ち、明治4年、町名になった」という。藩政期には、この辺は民家がほとんどなく、畑ばかりであったのだろう。

2016年11月14日月曜日

四高記念公園から金沢城 紅葉 2016年

金沢市の町中の紅葉がだいぶ進んできたので、いしかわ四高記念公園~玉泉院丸庭園~金沢城を歩いたので、その紅葉を紹介する。(11月13日)
まず大和デパート裏から四高記念公園に入った。








































町中でひときわ目立つ紅葉のスポットの「アメリカ楓通り」と「いしかわ四高記念館」、「しいのき迎賓館」の建物




























































玉泉院丸庭園入口からいしかわ四高記念公園方向を見る




















玉泉院丸庭園入口




















玉泉院丸庭園の紅葉はまだちょっと早かったようだ。




























































「旧第六旅団司令部」前の紅葉




















二の丸から五十間長屋方向を見る




















二の丸から極楽橋、三十間長屋方向を見る




















二の丸から鶴の丸方向を見る




















鶴の丸から本丸付段方向へ通ずる道から橋爪門方向を見る。




















三の丸から石川門方向




















北の丸付近で見た紅葉