2024年6月3日月曜日

十一屋、平和町界隈(3)

 十一屋、平和町界隈(2)の続きで、さらに付近を歩く。この辺りは「平和町住宅団地」で、19148昭和20)年8月、太平洋戦争終結により軍隊は解体され、兵営全体の建物が一部改造されて、住宅や学校に転用された。福祉施設として診療所、保育所、散髪所や日用品なども販売する市場なども作られた。その結果4,000人の住む団地がつくられた。あれから約80年近く建ったが、今も多くの一般住民の県営や公務員の団地となっていて、古いものから、新しい建物や立派な建物も見受けられた。




























ここの団地の人たちの憩いの場所として「平和公園」がある。裏にはソフトボールなどをやれるグランドもある。先日この公園で、能登地震によってできなくなった「穴水町のカキ祭り」をここで代用・再現するために「かきまつり」が行われたのも記憶に新しい。

近くにある「市民病院」の建物が老朽化しているので、ここに新しい「市民病院」を作る案もあるらしい。

































円形上の洒落た建物は、団地の子供たちの幼稚園である。



















大通りには、街中ではあまり見られなくなった「自転車屋」が頑張っている。ここの商店街は、現在「プレミアム商品券」をもっていると。10,000円で、14,000円の買い物ができるのぼりが立っている


















いろいろな店が入っている「アルコ」という建物は、現在は郊外に多くある「モール」のような昔版の建物であのか。


















建物の中の店はかなり減ったようであるが、この店は中古のピアノが並んでいた。そして誰かがこのピアノと使って、いい音色を響かせていた。


















大通りの向かいには、総合病院の「金沢市民病院」がある。ここここには、私にも診てもらっやことがあるし、昔、親が入院している時によく来たところであるので馴染みがある。


















その隣には、この辺りに大きなスーパマーケットがないので、ここの「ミニマルエー」は重宝していることだろう。


















こちら側にも「平和町住宅団地」の公務員用の建物がずらり並んでいる。そして「平和町児童公園」がある。団地の建物には住民がどれくらい入っているのかは、よく分からなかった。































この辺りに「旧兵営跡地碑」がいくつかあると聞いていたが、私が歩いて見つかったのは、自衛隊駐屯地横の柵付近に「金沢工兵営跡」の碑だけだった。


















隣には「陸上自衛隊金沢駐屯地」の広い敷地がある。今回の「奥能登地震」では自衛隊員は大活躍したことだろう。その時は、他の県の自衛隊なども手助けに来ていたが、ここから自衛隊車両で向かったはずだ。
この中はどんな所か一度は見たいと思っているが、簡単に入れないだろう。


















その向かいには「金沢大学付属高等学校」の校舎がある。ここは県内唯一の国立で県内の高校でもエリート中のエリートだけが行くとという少数精鋭の学校である。


















こちらは「金沢大学教育学部付属中学校・小学校」の校舎がある。小さい時から良い学校に行かせたいと思う親が、遠いところでも行かせているようだ。親も子も大変であろう。