2024年12月29日日曜日

湯涌温泉(1)玉泉湖 白雲楼ホテル跡

 ここのところずっと天気が悪く外へ出る気がしなかったが、久しぶりに天気が良かったので、家から30分ほどで行ける「湯涌温泉」に出かけた。金沢の奥座敷と呼ばれている温泉であり、私も何回か宿泊したことはある所である。最近はしばらく行っていなかった。

まず奥の方の「総湯」近くに車を駐車して歩いた。さらに奥に行くと「玉泉湖」という湖がある。夏にはホタルがよくいるらしく「ゲンジボタル」などの説明板が掲げられていた。












ここは、周囲500mの人造湖で、浅野川の支流である湯の川がせき止められて作られたものだという。

水の色はエメラルドグリーンで、きれいな池である。
































この湖の畔の一角に立派な「氷室小屋」がある。江戸時代に加賀藩前田家が徳川家に氷を献上したことに由来する。冬になるとこの「氷室小屋」に雪を保管し、旧暦6月1日に保管していた雪氷を取り出し江戸までもっていき徳川家に献上していたという。
最近では、これを再現した催し「氷室開き」として、毎年6月30日に湯涌温泉で行われている。
江戸時代には、街中の「尾山神社」裏や「兼六園・山崎山」の裏辺りなどに「氷室小屋」があったことが知られている。































「氷室小屋」近くの湖の反対側の崖に階段があったので登った。そこを上がると「中の園地」と「北の園地」と描かれた案内板があった。この近くには建機が入っており、作業者が何か作業をしていた。


















さらに歩くと、ここが「中の園地」の芝生であろうか、広い平らな部分があった。そこにあった「アスマヤ」で一服すると、そこに下図の写真が掲げられていたので、この場所に「白雲楼ホテル」があったことが分かった。


















「白雲楼ホテル」といえば、1932(昭和7)年に桜井平五郎により開業した豪華なホテルで、70室の部屋をもつ東洋一のホテルと言われた。戦後はGHQの保養施設として接収されたが、その後、昭和天皇や吉田茂首相などが泊るなど栄華を極めたが、1998(平成10)年に倒産した。


















「大広間」は、折り上げ天井に漆塗りの絵が描かれており、襖絵も豪華絢爛である。間口が6間の舞台があり300畳の広さがあった。そういえば、私の会社時代に営業終了間近だったと思うが、この広間で忘年会をやったのを覚えている。他に「宮本三郎」が描いた壁画が掛けられていたダイニングルームもあった。


















日本間の他にヨーロッパ風、中国風、朝鮮風、南洋風など多くの部屋があったという。


















倒産後にここを訪れた時に、廃墟化した建物が残っていたのを見たことがあるが、その頃には暴走族やホームレスなどが入り込み、お宝なども盗まれたらしい。このことから市は保存を断念して「文化財指定」を解除して解体を決めたという。



















「白雲楼ホテル」の近くの河内発電所は、ホテルの自家発電施設として設置された水力発電所であり、1939年から19998年まで60年余り発電所として役割を果たした。この時使われた二つの水車がきれいに洗浄され展示されていた。
下図は「横軸フランシス水車」


















「横軸ペルトン水車」


















この近くになんとも懐かしいホテルのプールの跡が残っていたのが分かった。プールの壁面に貼ってあるタイルが残っているのが見えた。私が学生の頃(約60年前)に友人と2,3度このプールで泳いだことを思い出した。たった1~2mくらいの低い飛び込み台があり、飛び込み台に上がりプールの水面を見ると、非常に高く見えて怖くて頭から飛び込めなく、足から飛び込んだのを覚えている。












2024年12月24日火曜日

宇奈月温泉周辺

 黒部トロッコ電車(黒部渓谷鉄道)(3)の続きで、次の日「宇奈月温泉周辺」を歩いた。宿泊先のロビー
















宿泊先の大きな窓から見える風景。遠くに見える洒落た建物は何なんだろう?

























近くの展望台に上がると、黒部川に「山彦橋」さらにその上流に小さく見えるのは「新山彦橋」そして支流にも赤い橋が見える。「トロッコ電車」の線路の他に行き止まりの線路が見える。


















この「山彦橋」は橋桁と下方のアーチ状の間をトラス構造で繋いでいる。「新山彦橋」も同じような構造である。


高架橋にはちょうど「トロッコ電車」が走っているのが見えた。


















前回雪が多く積もると石のトンネルの中を歩くことを説明したが、その「冬季歩道」の入口である。冬季にはトロッコ電車が冬季の間運休するが、ダム作業者や物資運搬者などが利用する道である。「欅平」までつながっていて、現在まで使われているという。歩くと6時間以上かかるという。

「トロッコの椅子を涼しく譲り合う」という句碑が立っていた。



















国が管理するダムでは初めての黒部川流域から流出し、貯水池に堆積土砂を排出するための、本格的な排砂ゲートを備えている。



















こちらは黒部川を渡った向こう側からの展望台から見た風景で、下流側に「宇奈月温泉」のホテルの建物が見える。


















歩道のトンネル内の石壁には「黒部川」、「立山」、「雷鳥」や植物の文様が彫刻されていた。


















またほかの場所には、多くの猿が刻まれていた。そういえば昨日の「愛本橋」付近で集団での猿を見たが、この辺りには多く生息しているのか?


















さらにダムの上流には朱色の橋桁と上部のアーチ状の鉄骨の間を太いワイヤで結んだ吊り橋の一種か?






































さらに上流のダム湖方向を見る。城壁のような「新柳河原発電所」の建物が見える。


















こちらの白い壁に茶色の文様を張付けたような洒落た建物は「黒部川電気記念館」で、館内には黒部峡谷の自然や黒部川の電源開発と水力発電について紹介している。パノラマ映像で峡谷の風景を見ることができる。





















「宇奈月温泉駅前通り」に「アルペンチーズケーキ」の店があり、ちょっと食べてみたくなり店内で一服した。


















白いピラミッド型のチーズケーキで口に入れるとふわっととろけるような雪の触感である。

2024年12月19日木曜日

黒部トロッコ電車(黒部渓谷鉄道)(3)


 黒部トロッコ電車(黒部渓谷鉄道)(2)続きで、さらにトロッコ電車からの車窓を紹介する。帰りにも「出し平」ダムを見る。



















この辺りも深い山々が続く。



































この青い「後洩橋」付近は急カーブしているのか、帰りは別の角度からの橋とトンネルが撮れた。橋やトンネルの入口には、電気や温泉の湯などを送るための菅が多く取り付けられている。


















川が蛇行しているのが見える。































あちこちに送電線の鉄塔が立っている。
























こちらには黒部川本流にも支流にも支流にも吊り橋が架かっているのが見える。

























白い雲はかかった山々の下にダム湖がある。
























宇奈月温泉に近づいてきて、



















新山崎橋からはようやく温泉街の建物が見えてきた。



















「宇奈月駅」に着くと、トロッコ電車のいろいろな車両が見ることができる。


















宇奈月駅前にある足湯「くろなぎ」には多くの人が気持ちよさそうに浸かっていた。


















下の地図を見ると宇奈月温泉から黒部湖までの黒部川に沿った道を「下の廊下」と言う。右側には、「朝日岳、白馬岳、唐松岳、五竜岳」など3000m級の山々が連なった「北アルプス連峰」で、左側には、やはり3000m級の立山連峰がそびえている。その間に黒部渓谷があることが分かる。





































「欅平」から先の「折小谷」、「志合谷」付近は垂直の絶壁に刻まれた垂直歩道で、高さが2m弱、幅がわずか60㎝足らずで、5kmほど続いている。谷底の黒部川まで200m以上もあるので、一瞬の油断が命取りになるという。これは黒部ダム工事の以前に、現地調査のためにこの巨大な大岩壁に人の手だけでこの道を堀り削ったというから、その努力と執念には驚かされる。
この道だけが唯一奥に入れる通路であるが、ダムをつくるための資材などはとても運べない。それがトロッコ電車を作るきっかけとなり、今の黒四ダムできる原点でもある。

















2024年12月15日日曜日

黒部トロッコ電車(黒部渓谷鉄道)(2)

 黒部トロッコ電車(黒部渓谷鉄道)(1)の続きで、さらにトロッコ電車からの車景を見ていきます。これは「黒薙駅」をトロッコ電車が出発するところである。
























右側には黒部川に流れる小さな滝がいく筋も見える。






































川の向こう側すぐに雲がかかる高い山々がそびえている。





















こちらは「出し平ダム」で、硬い岩盤に繋がっている。
























この辺りの線路に沿って石で作られたトンネルの道が作られていた。これは、この辺りは冬になると2m以上雪が積もる所で、人が歩いて前に進めなくなる。そのためにこの石のトンネルの中を人が通るために作られたものである。通るには、ひとが背中をかがめないとだめだという。


















何か所かに空気穴がある。


















今回の最終地点の「猫又駅」に着いた。線路は単線なので、この駅で先についていたトロッコ電車が出発する。


















こちらの駅からも湖と険しい山がそびえている。



















こちらも上の方に雲がかかった高い山々の間からいく筋も滝が流れている。


















「猫又駅」で折り返しなので、少しここで停車しているので、トロッコ電車から降りてみた。トロッコ電車は「一般客車」の窓がない車両と「リラックス車」と言って窓付きの車両がある。


















こちらには「黒部川第二発電所」がある。このダムは関西電力が昭和11年に運行した。右側の赤い鉄橋は角が曲線になっている。また、右奥の岸壁は鼠でも上がらないということから「鼠返しの岸壁」と呼ばれている。左手前に見えるトラックはここまで来るにはトンネルを通ってくるしかない。


















少し赤く染まった葉から黒部川が見える。


















こちらは「出し六峰」の険しい山並みで、上部からのあちこちに流れが見える。


















こちらのトロッコが出発するころには、次のトロッコ電車が入ってきた。お客さんたちは車両がすれ違う時互いに手を振っている。この見知らぬ人とのあいさつが皆さん楽しいようである。