能美市巡り(4)七つ滝①の続きで、さらに七つ滝について紹介する。
一番上ある滝は「一の滝」で、ここは「大ウナギ」いるという言い伝えがある。
能美市巡り(4)七つ滝①の続きで、さらに七つ滝について紹介する。
一番上ある滝は「一の滝」で、ここは「大ウナギ」いるという言い伝えがある。
能美市巡り(3)能美ふるさとミュージアム③ 灯台笹遺跡の続きで、その後、能美市の自然美スポットの一つとなっている「七つ滝」に行った。場所は「北陸先端大学」の裏の方になる「瀧浪」地区にある。
今日の新聞(9月24日)にここ「七つ滝」に関して能美市の中学生の投稿記事が載っていた。滝つぼにはカジカやサワガニ、滝の周りにはカモシカやキツネなどの動物と出会えるし、直物がたくさんあり、春は桜、夏には若葉、秋には紅葉と四季折々の景色が見られる。ここへ来ると心が癒され、いつまでもこの景色が見られるよう自然を大切にしようと記されていた。
能美市巡り(2)能美ふるさとミュージアム②の続きで、さらに展示物を見た。能美市が所有している「絹本着色白山曼荼羅図は、寛政時代(1789年)に白山ヒメ神社本殿の建立に関わったという加賀藩御用大工が寄進したもので、筆者は金沢の郷土史家楠部肇と考えられている。白山はなだらかで女性的と言われているが、富士山、立山とともに日本三名山とされ、加賀馬場(禅定道)と白山三所権現(御前峰、大汝峰、別山)の仏神の座とされた主峰群を描いている。右に別山、左に大汝峰、真ん中に御前峰を置き、禅定道は朱色の点線で表し、各所の場所の名札で書き入れている。
この「能美市」には、1925(大正15)年から1980(昭和55)年まで北陸鉄道の「能美線」が走っていた。鶴来から寺井駅(現根上駅)まで23駅があり、金沢市の白菊町駅から鶴来経由で直通で寺井駅まで走っていた。朝は通勤、通学に昼は石材や肥料を運搬していたという。
能美市巡り(1)能美ふるさとミュージアム①の続きで、さらに館内を見学した。
平安時代の823(弘仁14)年に、加賀の国が誕生した。それまで越前の国守であった紀貫之の朝廷への申し立てにより、越前から加賀の国を分国した。その理由として越前国守から遠く、巡検ができないことなどがあげられている。
今回は、私が好んで読んでいる新聞の中に「リレー連載」で、先日「能美は2万年前から」というテーマで6回シリーズで連載されていた。
能美市は2万年前から人が暮らす土地だったいう。それは、歴史を変えた大発見があったからだという。そして1200年前に付けられた地名には「美しき能(よ)き国」という意味が込められているという。
読んでみると非常に興味をそそったので、仲間と一緒に「能美市ふるさとミュージアム」に行った。ここは、昨年10月にオープンしたばかりの新しいミュージアムであった。
旧辰口町の「灯台笹」(とだしの)という所から、私たちと同じ世代の1960(昭和35)年に当時中学生だった少年が、自分の裏山の畑から木の葉のような先が尖っていて刃を作りだしたような石が見つかった。この石は少年が「絶対に縄文時代より前の石器だ」と思い、3年後に木の葉の石は2万年前の旧石器時代に、槍の先などに使われたものだと判明したという。これが能美市の歴史を変えた大発見だった。
15000年前くらいから土地は温暖になり、縄文時代には人々は土器や弓などを作るようになり、それまでの遊牧生活から定住生活になった。