小松 粟津温泉(4)法師①の続きで、館内の広い日本庭園を紹介する。
下図は「法師庭園」の配置図である。玄関から本館の建物そして客室、お風呂などの建物を通り、さらにぐるりと回れる廊下がある。その中に「法師庭園」がある。
私が70年以上前の5歳のときに幼稚園から「粟津温泉」に行ったと親から聞いたのを覚えている。その時に、仲間と一緒に長い長い廊下を走り回った記憶だけが残っているが、ひょっとしたらこの法師ではなかったかと思う。
小松 粟津温泉(4)法師①の続きで、館内の広い日本庭園を紹介する。
下図は「法師庭園」の配置図である。玄関から本館の建物そして客室、お風呂などの建物を通り、さらにぐるりと回れる廊下がある。その中に「法師庭園」がある。
私が70年以上前の5歳のときに幼稚園から「粟津温泉」に行ったと親から聞いたのを覚えている。その時に、仲間と一緒に長い長い廊下を走り回った記憶だけが残っているが、ひょっとしたらこの法師ではなかったかと思う。
小松 粟津温泉(3)日本自動車博物館②の続きで、その後今日泊まる「法師」に行った。
ここは、約1300年前に霊峰白山開山の祖である泰澄法師が粟津温泉が開湯された際に、法師の初代が湯治宿として開業したのが始まりである。
法師に近くに粟津温泉「総湯」の建物があったが、休館日だった。
現在の法師の玄関は、宿札の円窓の一致から明治16年以前の建築と推測されている。玄関棟は、切妻造りの雪止めが付きの桟瓦葺きで、端が鬼瓦を備えている。2階建てで、正面2階には4か所の丸窓が配置され、さらに禅宗の影響を残したアーチ状の火灯窓が2か所配置されている。
2016年に有形文化財に指定されたという。
玄関を入ると、広々とした空間からは、欅の梁や柱で、土壁やベンガラ壁が見え、多くの小さな和風あかりが天井から吊るされていた。
今回は、久しぶりに「観音院 四万六千日」の行事をやっていることを聞いたので行ってきた。旧暦7月9日にあるが、今年は8月12に開催された。
観音通りを通って奥にある階段のある「観音坂」からi行くと、既に多くに人がいて階段を上っていた。
脇には地元の作家の「森山 啓」の作品「市之丞と青葉」の作品の一部が紹介されたいた。
手取川洪水で両親を失った貧農の娘と水夫と恋愛小説。
小松 粟津温泉(2)日本自動車博物館①の続きで、展示されいぇいる懐かしい車を紹介する。外車もたくさんあったが、外車は日本車に比べて大きく重厚なという感覚である。
イギリス製ジャガーマークⅡ
アメリカ製 フォード リンカーンコンチネンタル
ドイツ製のメルセデスベンツのオープンカー