総持寺祖院(2)の続きで、さらに中庭には、二つの池があり、ピンクのハスが咲いていた。
「大祖堂」の裏手にある「放光堂」は入母屋造り向拝付きの納骨堂で、大火後1910(明治43)年に完成した伽藍である。正面には地蔵(放光)菩薩が祀られている。
「山門」の前に戻り、受付の「香積台」の建物方向を見る。
総持寺祖院(2)の続きで、さらに中庭には、二つの池があり、ピンクのハスが咲いていた。
「大祖堂」の裏手にある「放光堂」は入母屋造り向拝付きの納骨堂で、大火後1910(明治43)年に完成した伽藍である。正面には地蔵(放光)菩薩が祀られている。
「山門」の前に戻り、受付の「香積台」の建物方向を見る。
今回は、輪島市門前町にある「伝統的建築物群保存地区」の「黒島」を見たいと思い、車を2時間走らせて行った。しかし「黒島」に着いたのは11時30分ごろとなったので、お腹もすいたので、昼飯を食べたいと思い、もう少し走らせて「総持寺」付近の「蕎麦屋」に入った。その後、昨年が創建700年という「総持寺」を先に見ることにした。ここには、以前から2度くらいは入ったことがあると思うが、何年前に入ったかは忘れてしまったし、その頃はあまりお寺に興味のなかった頃で、どんなお寺だったか全く忘れている。まずは、「三樹松関」の高い門をくぐった。
野町界隈(2)旧三間道 諸江屋 少林寺の続きで、「北国街道」沿いに「三間道」の次の路地には「千手院」というお寺がある。その参道の右側には「千手院」の標柱が立っている。また、左側には「野町」の標柱がある。「藩政の初め、松林や雑木林などの地であったが、城下町の拡大に伴い町地となったので、はじめ泉野町といわれ、のち、略されてこの名で呼ばれるようになった。」とあった。
参道の左側には、多くの地蔵おかれた厨子や六地蔵の厨子などが並んでいる。
今回は、「千歳台」、「霞ヶ池」周辺を歩いた次の日は、「梅園」から「蓮地庭」を歩いた。
この辺りを何度か歩いているが、案内板がある大きな石を見逃していたのか初めて見る。案内板には「明治記念の標」の日本武尊像の台座石だったという。1991(平成3)年に大修理をしたが、台座石はひび割れがひどく再利用できなかったた、新しい台座に替え、この台座は創建当時のもののために、ここに残すことになったという。
その近くに咲いている花は「ヒイラギ」(?)