元旦の「令和6年能登半島地震」の2週間後に、金沢観光の「食」の代表格である近江町市場に行ってきたので、その様子を紹介する。また、年末の近江町市場の様子も写してあったのその違いを紹介する。
ここも「ひがし茶屋街」と同じように、観光客はすっかり減っていた。
元旦の「令和6年能登半島地震」の2週間後に、金沢観光の「食」の代表格である近江町市場に行ってきたので、その様子を紹介する。また、年末の近江町市場の様子も写してあったのその違いを紹介する。
ここも「ひがし茶屋街」と同じように、観光客はすっかり減っていた。
元旦の「令和6年能登半島地震」の影響は、120km以上離れた金沢市でも被害が出ている。
「震度5強」は私にとっても未経験のことで、恐怖を感じた。
金沢市内の「21世紀美術館」や「旧四高記念文交流化館」など多くの観光に関連した建物も「内部のリフォーム」ということで休館に余儀なくされているし、また「金沢城公園」も閉鎖されている。
地震から10日後に金沢の観光スポットの一部を歩いてので、その被害と思われる所を紹介する。
門が閉ざされた金沢城黒門口
恒例になっている今回の初詣は、遅くなると尾山神社が混むだろうということで、家族で「おせち料理」を食べる前の午前10時頃に家を出た。そして駐車場は、少し順番を待ったが最も近い場所に止めることができた。尾山神社神門の前に着くと、既に多くの人が来ていた。
しかし参拝の行列は、まだ少なく最後尾は神門の中だったのは初めてである。
世話人が手際よくロープで参拝人数を分けていたので、行列がスムーズな流れである。
境内には露天商が並び、既に多くの人で賑わっていた。
丁寧にお参りした後、いつものように「おみくじ」を引き、一年の占いを読み、紐にしっかり巻いてきた。健康については「まずまず」のことが描かれていたので安心した。「お守り」や「破魔矢」を売っているコーナーは長い行列ができていた。
その後、「神苑」の方を見に行ったが相変わらず素晴らしい庭園である。水が青く透き通ていて、周りの木々が映っていた。