金石界隈(7)専長寺の続きで、その後、海沿いの道を少し行って、右側下曲がり小路を歩くと「西ノ宮神社」がある。歴史的には詳しく明記されたものはないが、727(神亀4)念創始といわれる大野湊神社の場外末社のひとつで、100年以上前より、漁師の町の身近な祠として古くから地域住民に親しまれている。
2021年2月27日土曜日
金石界隈(8)海禅寺 銭五公園 涛々園
2021年2月23日火曜日
金石界隈(7)専長寺
金石界隈(6)大野湊神社 秋葉神社 妙覚寺の続きで、その後「専長寺」に行った。山門は、軸部が一間一戸控え柱付き棟門で、屋根は側面に唐破風をもつ平唐門であるで市内では珍しい。桟瓦葺きせ赤褐色の瓦だが、痕跡から当初はこけら葺きで、建築年代は江戸後期と推定されている。
本堂・庫裏とは廊下で結ばれている茶室「松帆しゃ」(しょうほんしゃ)は、旧御塩蔵町にあった銭谷五兵衛の隠居所の茶室を移築したと伝えられている。南方の樹木の化石と伝わる特異な石を沓脱石に据えるなど、海運業を営んだ銭谷五兵衛にふさわしい演出がみられるという。
2021年2月19日金曜日
金石界隈(6)大野湊神社夏季大祭社殿地 秋葉神社 妙覚寺
金石界隈(5)金石こまちなみ通りの続きで、その後「金沢港」から海側のほうに歩いた。
犀川の河口付近に「波除地蔵尊」が祀られていた。この地蔵尊は長州下関の「石工万石屋定五郎」の作である。藩政期にある漁師が大しけにあった際に、手招きするお地蔵さんに助かったという伝説が残っているという。海上安全と大漁を願う地元漁師たちの拠り所であるという。昭和41年に百年祭が行われた。
さらに海側に歩いていくと、砂浜に出る境界に、海岸線沿いにずっと2重の高い鉄製の柵が付けられていた。一部のみ砂浜に出れる所があり、そこから日本海を眺めた。そしてこの辺りに「日和山灯台」があり、「金石海水浴場」があった。私も小学生の低学年の頃に親に連れられてきたのをかすかに覚えている。
2021年2月15日月曜日
金石界隈(5)金石こまちなみ通り 要川 木挽川
金石界隈(4)金石こまちなみ通りの続きで、さらに進むと町屋が何軒か残っている。こちらの町屋は、袖壁、サガリに玄関の横は格子を持った大きな戸がついている。ここに店があり、何か売っていたのだろうか?2階は低く防火のためか黒壁に分厚い格子戸がついている。側面は一面が下見板張りとなっている。
昔、木曽街道の続きが松任より海岸筋を通って宮腰に入り、ここ「久昌庵」が終点であったという。この庵で休み、隣の茶店(番匠屋)で休んだという。この前には「南無阿弥陀仏」と刻まれた自然石が建っている。その後ろには、「六道御守護大慈悲地蔵」が安置されている。