2024年5月3日金曜日

若草教会

 今回は。野田中学校のグランドの裏にある明治時代に建てられたという「若草教会」に行った。寺町の「野田中学校」裏のグランドの脇の道路を通って行った。



















この辺りには、5代藩主綱紀が寺町台地一帯の新田開発と失業対策を目的として作り、押野の後藤太兵衛が中心となって1671(寛文11)年に完成させたという「長坂用水」が流れている。
























この付近の少しわかりにくいところに幼稚園が付随しているレトロな建物の「若草教会」がある。こちらの教会はカソリック系ではなくプロレスタント系の教会で、カソリック系の教会は、長町にある「金沢聖霊修道院聖堂に見られるような尖塔や彫刻、ステンドグラス窓など華麗な建物が多いが、プロテスタント系は、それとは違い無装飾で質素な建物であるという。この教会もそれに属する建物である。この建物は、現在は若草町に位置するが、もともと旧石浦町(今の香林坊1丁目)のアトリオの裏の隣辺りに、1891(明治24)年旧ウィン館の設計者のトーマス・ウィンによって建てられたという。建物は木造平屋建てで、急勾配の背の高い切妻屋根で、垂直を強調したゴシックスタイルである。


妻側に少し装飾が見られ、三角屋根の頂部ににゴシック風の妻飾りと十字架が付いており、その下に丸窓がある。外壁は下見板張りペンキ塗り仕上げとなっている。

























内部は、金沢聖霊修道院聖堂と随分違ってプロテスタンの礼拝堂らしく装飾的なものは一切なく質素な感じである。


















周りに長方形の上げ下げ窓があり、多くの長椅子が並べられている。


















天井はこの建物のもっとも特徴的なところで、吹き抜けに空間になっており、登り梁に水平なはさみ梁を渡し、さらにタイ・バー(部材と部材を引っ張って結びつける鉄棒)を組み合わせたビクトリアン・ゴシックの小屋組みと呼ばれるもので、イギリスのビクトリア朝によく使われたものが再現されている。


















中央の祭壇
























祭壇左側に洒落たパイプオルガンが置かれている。

















祭壇の左側にも古いオルガンがある。


















礼拝堂の横に会議机や関連資料などが置かれた部屋がある。


















この部屋の天井の中央には細かい文様の入ったレリーフが付けられている。


















裏側の用水が流れている所から見た建物には上げ下げ窓の外に木枠の扉が付いている。
このような小屋組みを用いた建築は、現存する日本の近代洋風建築の中でも数えるほどしかない貴重な遺構であるという。