今回は、寺町の奥の十一屋、平和町界隈を歩いた。ここは、「市民病院」に一時通ったときに少し歩いた以外、あまりゆっくり歩いたことがない。最近では、「犀川緑地公園」に時々散歩に行っているが、車でこの近くを通りすぎるだけの所である。
「寺町1丁目」の交差点は、野町から野田へと泉野から石引への二つの大通りが交差するところである。下図は野町方面を見た写真で、50年数年前に市内の路面電車が走っていたころは、この辺りが「寺町終点」だったところである。その頃には、この少し手前に映画館もあったことを聞いている。
「寺町1丁目」交差点から野田方面を見る。戦前にこちらは「野村練兵場」や陸軍の「三十五連隊」などの兵舎があったところである。
藩政期には3代藩主利常が、野田山にある利家の墓所へ行く道路を一直線に造成し、松樹を植栽した。1622(元和8)年に百姓衆11人が藩の政策により、屋敷地を拝領して茶屋を開き「十一軒」あったので「十一屋」の名前が付いた。
下図は昭和5年当時のこの辺りの「野村練兵場」や陸軍の「歩兵三十五連隊」などの兵舎の配置図である。
1898(明治31)年、日清戦争後日本の軍備増強を図るために金沢に陸軍第九師団が設置された時に石川郡野村村に「歩兵三十五連隊」、「野砲隊」、「工兵隊」、「騎兵隊」、「輜重兵隊」の兵営が建設された。その時に各隊の調練場として野村練兵場も造営された。
ここの大通りは「十一屋商店街」であるが、以前ほど店はやっていないようである。少し行ったところの右側に「嶋屋」という店があるが、20年くらい前に鰻を食べに行ったことを覚えている。美味しかったのでまた食べたいと思うが、今は鰻があまりとれないと聞いているのでどうだろうか。でも店の前には「うな重」などのメニューがあったので、まだ頑張っているようである。