前回の続きで、少し歩くと尾張町の老舗の中の老舗である「細字判店」
に入った。店に出てきた奥さんらしい人にいろいろと聞いた。
ここは前田利家が金沢に入城して5年後の天正6(1588)年の創業と
伝えられているから、もう420年以上経っているからすごい。
織田信長が全国各地から100人の印判師を京都に集め、講師の
ポルトガル人から講習を受け、その結果が優秀であった3人に「細字」の
姓が与えられたが、そのうちの一人がこの店の初代佐平であったという。
初代は尾張荒子生まれで利家と同郷であったので御用印判師として
召抱えられたという。
また、14代前田よしやすの時代に発行された藩札の印もここで作った
ということで陳列されていた。
店内にある印章は非常に細かい模様を施されたものが多く、よく手作業で
このようなものができるのか驚きであった。
「時世や時流にあまり影響されない地味な商売だから生き残ったのだ」と
ここの先代のおじいさんが言っていたという。
また、少し歩くときれいな立派な店があったが、これは「山田時計店」である。
ここの80歳になる会長と話をした。
私が「高校の入学のときに、親に腕時計をここで買ってもらった」と言ったら
「今でも動いていますか」と言われた。
その頃は時計とレコードなどを売っていたが、レコードは今は売っていない。
それに変わって、婚約、結婚指輪や真珠のネックレスなど宝石を売っていた。
老舗の尾張町の中では、近代的に改装された店だ。
また少し歩いていくと、これも老舗の「森忠商店」があった。
ここも古く、天保14年からやっていて、油脂、塗料を扱っている。
現在は昔ながらの漆や柿渋などの自然塗料や接着剤、化学製品も
扱っているという。
この店ができる以前は、このブログに載せた十間町の「住吉旅館」がこの地に
建っていた。この旅館に地図作成で有名な伊能忠敬が泊まって、この付近の
測量をした。
それで、この店に測量器具や作成した地図のコピーが展示されていた。
和菓子の「森八商店」が橋場町交差点近くにあったが、大手町に移転した。
そこでこの跡地をどのように活用するに^するのか、この近くの人のみならず
我々も興味がある。是非、尾張町を活性化させるものを作ってもらいたいものである。
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