2024年9月5日木曜日

東京 日本橋付近(1)日本橋

今回は東京に用事ができ 行ったが、少し時間ができたので街を歩くことにした。あまりに熱く湿気が多かったので、まだ行っていなかった「東京駅」から近い場所で「日本橋付近」付近を歩いた。



















歴史のある東京の起点である「日本橋」は約60年前の東京オリンピックの時にできた「首都高速道路」の下にあり見るも無残な形である。その高速道路の架かる「日本橋」の橋名標の揮毫は15代将軍徳川慶喜と伝えられている。現在の日本橋ができたのは1911(明治44)年で、慶喜が亡くなる2年前であったという。



















日本橋の創建は「慶長見聞集」によれば1603(慶長8)年の徳川家康の時代である。
19回の架け替えと改修によって現在に至っている。
現在の橋は1991(明治44)年で、日露戦争凱旋気運の中で造られた日本趣味を織り交ぜたルネッサンス橋である。
下図は青銅で造られた江戸時代の日本橋の絵と「慶長見聞集」の描かれた文章か?





















日本橋は平成11年に重要文化財の指定されたが、建設省道路の関わる物件としては初めてだという。
明治期を代表する石造アーチ道路橋であり、その遺成度を示す遺構として貴重であるという。また、土木家、建築家、彫刻家が協同して装飾橋架の代表作であり、ルネッサンス式による橋染本体と和漢洋折衷の装飾との調和もすばらしく意匠的完成度も高い。






















親柱には「にほんばし」の看板とその上に青銅製の「獅子像」で前足で押さえているのは東京都のマークで、東京を守っている。










































橋中央の燈中には、一対の麒麟が配置されている。麒麟は千年生きるといわれるが、王が仁・徳のある政治を行うと現れると伝えられる。ちなみに麒麟は繁栄を表すという。また、植物のエノキ、マツのレリーフが刻まれているが、エノキ、マツは江戸時代に日本橋を起点とした街道の一里塚として植栽されたという。
























橋の際には高い燈柱があり、その下に「日本国道路元標」の銘版が埋め込まれている。

































日本橋からの距離が埋め込まれていた。横浜市まで39里、甲府市131里、名古屋市370里、京都市503里など


















日本橋には獅子の数が12頭もあると聞いたが、探すのにも時間がかかってしまう。