敦賀ドライブ(6)金が崎城跡の続きで、その後、下に降りて「金ケ崎神社」に行った。
ここは、1890(明治23)年、尊良親王を祀る官弊中社金崎宮が金ケ崎城址に創立された。1892(明治25)年には恒良親王が合祀され、1893(明治26)年に現在地に遷座した。太平記の一話に尊良親王が長年の想いに寄せ続けた姫君御くしげ殿めでたく結ばれた話もあることなどから、恋の宮として恋愛祈願として多くの人が訪れるという。
摂社「絹掛神社」は明治30年に社合を金崎宮摂社絹掛神社として御鎮座祭が執り行われた。新田義貞などが祀られている。
すぐ近くにある「金前寺」は、736(天平8)年に開創されたという古いお寺で、十一面観音の座像が本尊で縁結びの「袴掛地蔵」として知られている。また、北陸三十三か所観音霊場でもある。
境内には金ぴかの立派なミニチュアサイズの「五重塔」や「梵鐘」などが置かれていた。
また、「弘法大師像」や「聖観音菩薩像」、「不動明王像」も置かれていた。
こちらには、松尾芭蕉の句碑「鐘塚」があるが、敦賀を訪れた芭蕉が、宿の主人から南北朝時代の金ケ崎の戦いの故事を聞いた。すなわち新田義貞が陣鐘を海に沈めた後、ひき上げようとしたが、逆さに沈んでいたためできなかった。この話を聞いた芭蕉は「月いずこ、鐘は沈むうみのそこ」と詠んだ。