2024年7月13日土曜日

犀川大橋 百寿祭(1)橋の構造 歴史

今回は、現在の「犀川大橋」ができてから100年ということで、「 犀川大橋 百寿祭」が催しされていたので、よく通っている「犀川大橋」がどんな風になっているかと思い見に行った。

























午後6時30分から始まるということで、野町に車を置いて歩いて行った。既に「広小路」から「片町スクランブル」までは、バスや車は通行止めになっていた。


















そして「犀川大橋」周辺は、いつも見る風景とは全く違う、多くの人でごった返していた。このイベントがあることを皆さん、いろいろと聞きつけているんだなあと思った。



















日本橋梁の先駆者、関場茂樹が設計し、1924(大正13)年に完成された「ワーレントラス」形式の大橋で、この橋以前のものは何度も流失しては架け替えられたが、この橋になって100年間を維持している。


















長さが約62m、幅21~23m、高さが約10mで形式が「下弦式単純曲弦ワーレントラス橋」
竣工が1924(大正13)年である。
路面電車を通すために路幅を広くした「鉄筋コンクリート桁製」の橋を作ったが、3年であえなく流失してしまったので、橋桁のない「ワーレントラス製」になったのであろう。















最初に架けたのは藩祖の前田利家で、その頃には浅野川大橋と小橋と犀川大橋だけだったという。城下一の大橋であったことから、今と変わらず当時の人の交流や物流が盛んだった。明治維新以降も洪水や氾濫によりたびたび流失し、1898(明治31)年に木造橋最後の架け替えが行われたという。

















下図は、大正8年の鉄筋コンクリートの橋で市電施設のために木造橋を取り壊して作られた。フランス・アンネビック式で鉄筋は一部米国製を使ったりと堅牢さが自慢だったが1922(大正11)年8月金沢測候所開設以来の集中豪雨により崩壊し、3年間の短命だった。















1924(大正13)年に開通したばかりの上図と同じ場所の現大橋の写真
















1994(平成6)年の改修工事で日本の伝統色である青色を加賀友禅に見られるグラデーションの配色を施した。
歩道は御影石で舗装し、柔らかな曲線を取り入れ、バルコニー的空間は、橋上を散策する人々の憩いの場所になっている。


















犀川の両側にある「犀星のみち」との調和を意識して、ガス燈をイメージしたレトロな照明や両側の橋の柵もライトアップされる。