今回は、10月に県生涯学習センターの「ふるさとふれあい現地講座」のテーマ「小松の近代化の遺構」が抽選で当たり参加したので紹介する。このイベントには、毎年1回ぐらい参加している。まずは、バスで小松の「尾小屋鉱山」に行った。
「尾小屋鉱山」は江戸時代からやっているというが、1880(明治13)年に旧加賀藩士族の横山隆典らによって本格的な操業が始められたという。当初は経営状況が悪かったが、明治20年に良質な鉱脈を見つけると事業は順調に進展した。明治37年には鉱山事業部を設立し、尾小屋は日本有数の鉱山として栄えた。
昭和11年の尾小屋銅山付近のマップ
まず尾小屋資料館に入り、館内を見た。横山家が関わった経営について紹介されていた。
横山隆典が着服したという大礼服
金沢市内にあったという立派な横山鉱業部の建物で、高岡町にあったと聞いたことがあるが、どの辺りにあったのであろうか?
大正期後半には不況などで経営が経営が停滞し、1931(昭和6)年に日本鉱業株式会社に経営が引き継がれ再開した。昭和30年ごろにはピークに発展し、最盛期には年間2000トンを超える粗鋼を生産した。しかしピークを過ぎると安価な海外鋼の国内流入などで経営が停滞し、1962(昭和37)年には精錬の火が消え、尾小屋鉱山は閉山した。
尾小屋鉱山資料館には、他に関係資料の他や鉱物などの展示がされていた。
尾小屋鉱山の坑道模型が展示されていて、縦横無尽のに走っていたことが分かる。長さは全長80km、最上部から最下部まで80mの高さがあったという。そして坑道内には10か所の立坑があり。地下より採れた鉱石を上まで運んだという。
坑道内に入る入口が見られた。
当時使われていた煙突も見えた。
当時の精錬所
中には当時の坑道内の作業者や鉱物を運ぶトロッコなどの様子を示す模型
最近の新聞に現横山家16代当主から、尾小屋鉱山関係の資料が「尾小屋鉱山資料館」に寄贈され、成り立ちなどを裏付ける研究などがなされていることが掲載されていた。さらに尾小屋鉱山について詳細にわかることになるだろう。