ここの通りにも新しく改修された「金沢町屋」の銘鈑が貼られたきれいな建物が2軒ならんでいた。
この十三間町の長い通りは400mも続く長い道である。さらに歩いていくと、商家の趣がある「毛利質店」がある。玄関には黒い暖簾が掛かり、その上にサガリが付いている。板塀の上にガラス戸があり二重の屋根が付いていた平屋のレトロな建物である。隣には下の方は石造りであるが、周りは板塀の蔵がある。
今は、宝石、貴金属、時計、骨董品、OA機器など高価なものの買取を行っている。 片町での飲み会の前の資金作りのために来る客も多いらしい。
さらに通りを直角方向に曲がっても、やはり細い小路が続く。
その角に「杉浦町」の標柱があった。「藩政初期、加賀藩士、杉浦仁右衛門の預り足軽の組地であったことからこの名がついた」という。そういえば「十三間町」といい、この辺りの町は住所変更のなかったところだ。
歩いていると時々、古い家が建っている。ここは、屋根に鳥兜をもったアズマダチの武士系の立派な建物である。
ここもな立派な屋根に漆喰壁と板塀に格子窓が付いた武士系の和風住宅である。
一番犀川寄りの通りは「中川除町」で、途中から犀川の川沿いの道になり大橋のところまで続く。
桜橋の横は「川岸町」といい、以前は大通りの向かい側も「川岸町」であったが、そこは今は「幸町」に組み込まれ、ここの狭いエリアだけが残った。20~30年前までは、ここに「国民金融公庫」の建物があったのを覚えている。この「中川除町」も「川岸町」も住居表示の見直しがあったがここは旧町名のまま残っている。